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2025年6月25日 (水)

インフラ友達

  親友、旧友、学友、そして悪友など友達にも色々ある。(一昔前ならば、戦友などもある。)

 小生と、親友のタダノ教授が中学生の時であった。テレビの子供向けの番組で、”一年生になったら”という、童謡(?)をやっていたのを覚えていた。テレビのコマーシャルで、今でも3月の末から、4月のはじめにかけて、ランドセルのCMでかかるから、知っている人は多いのだろう。作曲は”大きいことはいいことだ~♫”の山本直純だ。そしてまた卒園式で、”思い出のアルバム”と、この”一年生になったら”の両方(または片方のみ)を園児たちが歌うのが、常連となっている幼稚園がある。親としたら、感慨深のだろう。

 

 この”一年生になったら”の歌詞に「ともだちひゃくにんできるかな」というのがある。このフレーズが繰り返されるのだ。「小学生で、友達が百人もできたらそりゃ、素晴らしいことだな。そもそもできないから歌になっているはずだ」と冷めきっていたのだ。童謡に文句を言っても仕方あるまいということだ。でも元気の出る曲だ。と、感じていた。しかしだ、昨今は、流石に小学生の低学年は無理だろうが、卒業までに簡単に百人の友だちができるのだある。メールやSNSなどで、簡単に、100人、200人の友だちができる。親友というのには、程遠いが、十分に、友達なのである。高校生や、大学生にもなると、1000人以上の友達がいる人もいるのだ。世の中が変わったのである。

 

 では、本当の友達というのはどんなものなのか、これについては面白い調査があるのだ。2013年10月に博報堂が15歳~69歳までの男女1500人にアンケートを取っているのだ。その時のキーワードが「インフラ友達」なのである。面白い表現である。つまりかけがいのない友達と、言うことなのだ。インフラがなければ、人間は死んでしまう。そのように絶対的な友達という捉え方をしても構わない。ただし、社会的な要求に応じて、その状況に応じて、対応してくれる友達なのだから、複数いるのが普通なのだ。簡単に言うと友達の役割分担ということかな。

 

 このアンケートの結果は、翌年(2014年)に、書籍となって、出版されており、当時は、結構話題になっていたようだ。タダノ教授も、この本購入して、読んでいた。ただし、当時8000円で売り出されたのであった。なかなか面白い分析をしているので、当時の風潮の一面を表していると思うのだった。友達を分析して、単純に分類しているのが面白い。例えば、「ネンイチさん」(多分年賀状の友達かな?)、「避難所友」(災害のときに助けてくれた友達)、「墓友」(墓にまで一緒に入ってくれる友達:本当なのか!?)

 

 もう10年前のアンケートなので、どのくらい今の世相を反映しているのかは、わからないが、ちょっと興味を引くものであった。Z世代にとって、「インフラ友達」とは、どういうものなのかが、ちょっと興味があるのだ。

 

 この博報堂のアンケート結果書籍は、今では、古本屋に400円前後で、見つけることができた。このぐらいの価格ならば、手頃だな!

2025年6月20日 (金)

性弱説

  タダノ教授と話をしていたときのことである。彼は、科学・技術のみならず、経済や、心理学にも幅広い知識を持っている。彼との盃を傾けながらの懇談は、楽しいものであった。特に互いに古希を過ぎたあたりからは、昔話に花を咲かせるのが常だった。主に、昭和の話が多いのは、二人共夢と希望が溢れていた時だからなのかもしれない。そんな彼と、哲学談義に花を咲かせるのも楽しいものだ。何しろ、小生とタダノ教授は、屁理屈が大好きときているのだ。

 

 「性善説と性悪説」が、あるのを知っているよな。」と、タダノ教授。「人間の自然本性(生まれつきの性質)は善である」とする説と「悪である」とする説のことだ。」そして、これは古代中国の儒家の『孟子』と『荀子』の対立に由来することを学校で習った覚えがある。性善説は「人はみな善人である」という楽観主義、性悪説は「人はみな悪人である」という悲観主義、といった意味合いで広く使われているものだ。しかし、本来は、「教育の重要性」を主張するための説であったのだ。

 

 タダノ教授が初めて聞く面白い説を言い始めた。性善説でなく、性悪説でなく、それは、「性弱説」というものだった。たしかに面白そうだ。「つまり人は、生まれながら膳とか悪とかで区分けされるものではなく、そんなに強いものではない。」という説だ。生物は、生存本能を脅かされると、生き残ることを最優先に、行動するものだという考えである。そんな状況に置かれると、道徳や倫理、法律などを超えて生存のために利己的な行動を取るという思いなのだ。たしかにこの説には説得力があると小生は思った。

 

 身近では、道でお金を拾っても届けない人がいるし、優先席の前に年寄りに譲らない人を見ることもある。道徳的には、許されないことだろうが、人間というものは弱いものである。また、飢餓に苦しんでいる人が、食べ物を盗んでしまう人を責めることができるだろうか。映画の世界だが、我が子の心臓移植手術のために、立てこもりの犯罪を犯す親を主人公としたのがあった。本来は、人間は善であるが、弱いものである。

 

 企業の不祥事なども、ひょっとしたら、性弱説なのかもしれない。本来、企業は"善”でなければ、存続は難しいのだ。しかし、経営幹部の判断でトラブルを誤魔化したり、欠陥を隠したりする。バレると、関係者一同揃って頭を下げるシーンが繰り返されるのだ。こんなことは、最近日常茶飯事になってしまったのか、さほど驚かない。だからこそ、企業では、ガバナンスが、大切なのだ。

 

 性弱説と、言う言葉を初めて知ったのであり、日本人の優しさが、その言葉にあるということなのだ。考えてみると、小生などは、性弱説を地でいくらい弱い人間だったと思う次第だ。それにしてもタダノ教授は奥行きの広い洞察力を持っているものだと、あらためて、感心した。

2025年6月15日 (日)

あべのハルカス

  大阪の高層ビルで最も有名なのは、300メートルの建物である「あべのハルカス」だ。2014年に、オープンしたのだから、もうすでに10年以上、経過しているのである。大阪市のJR環状線と大阪メトロの天王寺駅に接しているのである。東京で言えば、東京駅に対して、副都心の新宿駅に当たるところだ。山手線で行くことができる。大阪では、大阪駅と、天王寺駅とが同様な感じてある。と、いえば、東京の人間には位置関係がわかるかもしれない。大阪の市民の中で、この「あべのハルカス」に行ったことがある人は、どのくらいいるのだろう。地上60階が、展望台になるので、時々は、テレビで、紹介されている。しかし、小生の周りでも、ほんの数名しか、この「あべのハルカス」に行ったことがある人は、いない。まあ、東京で、東京タワーに登ったことがある都民が少ないのと同じかな。最近では、東京スカイツリーですら、同じようなものだろう。所詮、名物などというのは、地元よりも、地方から、やってくるお上りさんのためであるのが普通だ。昨今ならば、インバウンドのためにあるといっても不思議ではない。

 

 JR天王寺の近くに、用事があったので、ついでにこの「あべのハルカス」に行ってみることにした。そもそもなんで、天王寺駅の駅ビルに「あべのハルカス」という名前をつけたのだろうか。小生の周りには、この答えを知っている人は、あまりいなかった。ネットで調べればすぐに分かることだ。”あべの”は地名”阿倍野”だ。そして、”ハルカス”は、”晴るかす”という古語が由来ようである。平安時代の書物にあるようだ。詳しく知りたければ、ネットが一番だ。地下鉄とJRの『天王寺駅』に隣接されているし、近鉄ならば『阿倍野橋』が隣接されている。どれかで、この駅を下車すればいい。

 

 この”あべのハルカス”であるが、近鉄がスポンサーに付いているので、近鉄百貨店が、隣接している。また複合ビルなので、銀行や、証券会社を始めとした、オフィッスビルでもある。低層階には近鉄百貨店(あべのハルカス近鉄本店)と美術館あべのハルカス美術館)、中層階にはオフィス、高層階にはホテル大阪マリオット都ホテル)や展望台(ハルカス300)が入居している。便利であり、なおかつ名物なのだから、テナントの賃貸料は結構高そうだ。小生にとってはそんなことはどうでもいいことだ。

 

 有名な地上300メートルにある「展望台」へ行くには、16階まで行き、そこで、エレベーターを乗り換えて、60階まで行くことになる。とりあえず16階まで行ってみることにした。休日は、展望台まで行く観光客で混雑しているようだが、今日は平日なので、ガラガラである。005_20241216141501 外国人観光客も少ない。16階には、屋上庭園と、ハルカス美術館がある。60回の展望台まで行くには、ここで専用エレベーターに乗り換える。大人一人2000円である。また、ハルカス美術館も入場するには、2000円の入場料が必要だ。共通券があり、3500円ということだ。事前に調べていたので、特に驚くことはない。今回はスキップだ。

 

007_20241216141301 004_20241216141301 001_20241216141301 015_20241216141601 003_20241216141301  16階の屋上庭園からは、西側の一方向しか見ることができない、つまり、90度の視野だがそれなりに楽しむことができた。ちょっと見づらいのだが、通天閣を、見る022_20241216141401 008_20241216141401 ことができたのだ。17階にはカフェがあるが、コーヒーなどは、いい値段だ。コンビニのファミマがあったので、そこでペットボトルを買って、イートインにて、しばらく休憩だ。150円で、ゆっくりとできるのだからまずまずである。

 

 あべのアルカスは、16階までいくことでとりあえず十分に楽しめたのだ。何しろここまでは、”無料”である。美術館と、展望台は、次回に回すことにした。(そんなチャンスが、有るか無いか、わからないが!)

2025年6月10日 (火)

牽強付会(けんきょうふかい)

 タダノ教授と世間話をしていたときのことである。政治家や、企業の不祥事に対しての会見を聞くと、どうも自分に都合よく解釈しているのが、目立つという。小生もまた同意見だ。タダノ教授は、これを「けんきょうふかい」と言って、切り捨てたのである。小生にとって、聞き慣れない言葉であったので、この意味を調べてみた。

 

  ”牽強付会”、この四文字熟語は、知らなければ、読めない(当然だ!)。この”牽”は、「けん」と読み、引っ張ることを意味する。これでもJIS大1水準の漢字である。「牽引(けんいん)する」のような使われ方をしているな。列車の先頭車両(動力車両)を牽引車両と言うこともある。牽引車は、レッカー車のことだ。

 

 ”牽強(けんきょう)”という使われ方を、ネットニュースで知ったのである。この意味は、『道理にあわないことを、自分の都合のいいようにこじつける』という。”付会”『同じように自分の都合のいいようにこじつける』という意味なので、強調のために同じ意味を重ねた四字熟語というのだ。

 

 なるほど、自分の都合のいいように無理やりこじつけて言うのだ。まさに昨今の政治家や、不祥事を起こした企業トップや、はたまた事件を起こした人気芸人、などの会見を聞くとこの言葉がしっくりとするのだから不思議だ。

 

 別の言葉に置き換えると、屁理屈 こじつけ でたらめ
詭弁 論理のすり替え 論点のすり替え
などとなる。こっちのほうがわかりやすいかな。

2025年6月 5日 (木)

注意資源

 タダノ教授と呑んで懇談していたときのことである。やはり古希をすぎると、小生と同様に、認知力が落ちたのを時々感じるというのだ。年齢からくる認知力や、注意力が劣ってくるのは仕方がないと諦めていたのである。タダノ教授によると、この注意力(認知力)には、人それぞれ限度があるというのだ。2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カールマンという学者が注意資源という考え方を提唱したというのだ。

 

 注意力には、限度があるという考えなのだ。齢を取ると、確かに注意力が落ちるのは、自らの経験でよく分かる。現役時代は、3~4つぐらいの仕事を並行して、当然のように処理していたのだ。最近は、一つの仕事ならば、十分に集中できるが、3つも4つも並行してはできない。これが普通なのだろうと思っていた。ところが、この「注意資源」という考え方というのは、チョット違う。注意力には限度があるというのだ。一つのことに集中できるのは、個人差があるものの90分程度が限度であるという。複数のことを同時になろうとすると、集中力が分散されて、注意力は枯れてしまうという理論である。確かに経験からも、納得できる。ただ、この理論の良いところは、注意資源は復活できるというのだ。森林を散歩したりなど、自然を相手にすることで癒やされる。そうすると、復活するというのだ。時々リフレッシュすればいいというわけだ。

 

 聖徳太子は、7人を相手にして、話を聞き、それぞれに対して、的確に回答したという。すごい認知力と集中力だ。つまり、注意資源がたっぷり有ったということだな。小生のような普通の人間は、せいぜい2~3人の話を聞くのが精一杯だし、古希をすぎると、そもそも聴力が落ちてくる。これも注意資源が減ってきたのかもしれない。

 

 しかし、一方、近くの図書館では、10時オープンと同時に、「ド、ド、ドーッ」と、隠居中のご老人(?)が数名入場してくる。そしてすぐに新聞掛けのところに行き、当日の新聞を2~3ほど持って、ベンチや、ソファに座り読み始めるのだ。まさに一心不乱であり、これを日々のルーチンにしている人たちなのだ。午前中いっぱい(時には午後も)読みふけっているのだ。「この人たちは、すごい集中力だな」と、感心するのであった。注意資源が、まだまだ落ちない人なのかな。と、思っていたが、どうやら、自宅で相手にされない隠居したオッサンの都合の良い行き場所となり、時間つぶしに利用しているのであった。家にいて、カミさんや家族から、「濡れ落ち葉(まとわりついて離れない)」など、と、言われるよりマシなのかもしれない。

2025年5月30日 (金)

Mr. Baseball(映画)

 米国で、英語をなんとかものにしようとして、ハリウッドの封切り映画をひたすら見たのである。そして、見始めてちょうど1年目だ。なんとかヒアリングの能力が少しは、上がったかなと思ったときに見た映画が、Mr.Baseballであった。何しろ、ロケーションが、名古屋なのだ。そして、中日ドラゴンズのフランチャイズがその会場なのである。何気なく英語の勉強のために見た映画であった。何しろ米国に住んで2年目のことだから、必死だったのであった。この映画は、米国ではとても人気があったのだが、日本では、さっぱりだったと聞いていいる。

 

 ストーリは、単純であった。

主人公のジャック・エリオットはMLBのニューヨーク・ヤンキースの選手だが、欠点があり、成績が上がらず、トレードされることになったのだ。それが、日本の中日ドラゴンズというわけだ。主人公の役は、トム・セディックだ。小生も彼のファンであった。とくに「私立探偵マグナム」という、シリーズ物を見ていたのである。ジャックには、弱点があり、そこを突かれると、全く打てなくなる(空振りばかり)のだ。

 

 映画自体は、コメディとして気楽に見ることがアメリカ人にはできるだろうが、小生は、英語を何とかモノにしようと必死なのだった。それでも、この映画は、日本の風物・文化を誇大に茶化している。今ならば、大谷翔平や、今永、そしてダルビッシュや、イチローなどの日本選手が、大リーグで、活躍しているので、日本の野球に対して、米国人は、見下すようなことはないだろうが、今から30年前は、日本のプロ野球などは、米国にとって、リトルリーグのような扱いなのだ。今は、バンテリンドームナゴヤが、フランチャイズだが、 当時の中日ドラゴンズの本拠地は、名古屋であり、ナゴヤ球場なのだ。(ちょっと懐かしい。)

 

 映画では、中日ドラゴンゴンズの監督は、高倉健が内山という役でやっていた。感心したのは、彼の英語がとてもスムーズで聞きやすかったのだ。(かなり練習したのかもしれない。)電車の中で、平気でエロ雑誌を読んでいる人がいたり、素麺をズーズーと音を立てて、食べるシーンなど、日本を野蛮な国という扱いであった。また、茶碗に山盛りにしたごはんに箸を立てて、テーブルを離れようとしたジャックを慌てて、その動作を止めさせようとするなど、随所に小生から見たら、日本人と、日本文化を茶化して笑いを得ようとするシーンが目立つのだった。

 

 英語の練習という意味合いがなく、名古屋がロケ地でなければ、米国でこの英語を見ることがなかったろう。とにかくひどい偏見の映画だったのだ。日本では、さっぱり受けなかった映画だということも納得できるものだ。

2025年5月25日 (日)

春日局生誕の地

 春日局(かすがのつぼね)は小生の世代では、よく知られている女性だ。。なにしろ徳川3代将軍の家光の乳母であり、大奥の礎を築いた女性なのである。中高年に人気になったのは、NHKが1989年に放送した大河ドラマ『春日局』の影響だ。この放送で、一般の認知度が、一気に広まったのである。更にこの時の主人公役が大原麗子だったのも印象付けられたのであった。今でも、若い世代は、教科書に取り上げられたこともあり、認知度は結構高いようだ。

 

 この春日局の出生地だと言われている場所がいくつかあるが、その中で、最も有力視されているのが、丹波国黒井(現在の兵庫県丹波市春日町黒井)説である。他に岐阜県揖斐川町、滋賀県大津市、京都府亀岡がある。

 

 丹波国黒井であるが、ここには、明智光秀の重心である「斎藤利三(さいとうとしみつ)」が城主であった黒井城があり、春日局が出生し、産湯を使ったという『興禅寺』があるのだ。113_20250503155401 111_20250503155501 114_20250503155601 その斎藤利三が父親であり、本名は『斎藤福』なのだ。福は、3歳まで、この地にいたという。JR福知山線の黒井駅には、『お福』の像がシンボルとしてあるのだ。春日局と名乗ったのは、53歳以降であった。

 

 このあたりの地名である春日についても一説によると、この春日局が由来かもしれない、とのことだ。(注:これは真偽不明である。晩年に住んでいた文京区の春日だという説もある。)

 

 黒井駅は、無人駅であり、単線の福知山線が離合する駅でもある。駅前のロータリーにこの『お福の像』が設置されていたのだ。光善寺までは、歩いてここから15分くらいだが、舗装はされているが山道を登ることになる。小生は、車で行ったのであるが、狭くて離合が難しい箇所がいくつかあった。それでも、なんとか興禅寺の駐車場に到着だ。

 

123 117_20250503155601 120 122_20250503155801  山門の脇に「春日の局出生地」の碑があった。そして、広い塀と、野面積みの石垣に掘りがあるところなど、城そのものの感であった。山118_20250503155701 119 門をくぐると、手入れの行き届いた石庭が見える。本堂は、クローズされていたが、中には、釈迦如来場が安置されている。その脇を過ぎて奥の方へ行くと、春日局が浸かったという「産湯の井戸」がある。

 

 観光客がいないこともあり、静かに石庭を見て楽しむことができた。そして、興禅寺を後にしたのだ。

2025年5月20日 (火)

荒牧バラ公園(2025)

 毎年この時期になると、関西は、バラが見頃となるのである。満開のバラ園は、圧巻である。関西でもいくつかのバラ園があり、どこも甘い香りがしているようだ。京阪神地区では、015_20250517200501 小生の地元の伊丹市荒牧バラ公園が有名であり、ニュースなどでも取り上げられる。何しろ伊丹市は、このバラ園を入場無料にしているのだから、太っ腹だ。(注:駐車料金は取られる)小生のブログでもいくどとなくこのバラ園を取り上げているのだ。何しろ、ランニング練習コースにあるので、シーズンでは、ここで休憩してバラを楽しむのである。

 

 5月と11月の年2回、このバラ園でのバラを楽しむことができるのだ。特に地元で品種改良013_20250517200601 016_20250517200601 され名付けられた”天津乙女”と”マダムヴィオレ”には毎回挨拶することができるのであ。休日は、一般の見学客でかなり混雑しているが、平日は、この地域(伊丹、川西、宝塚、能勢町など)の老人ホームの入居者が遠足(?)に来ているのである。要するに車椅子の集団が、あちこちに見ることができるのだ。介護士が一所懸命にケアしたいるのがわかる。これも無料で楽しめることができるからだろう。

 

 そこそこに楽しんで、ランニングを続けるのだった。今度は、11月にまた楽しめそうである。

018_20250517200601 014_20250517200601 017_20250517200701 029_20250517200701 026_20250517200701

2025年5月15日 (木)

大阪・関西万博オープン1ヶ月

 2025年4月13日にオープンした大阪・関西万博が、早くも1ヶ月が経ったので、そろそろ落ち着いてきたので、見学に行くことにしたのだ。せっかく関西にいるのに、万博を見ないわけにはいかない。関西以外では、あまり盛り上がっていにようだが、万博などというものは、こんなものかもしれない。政治的な意図があってなのか、 『入場者数が、当初の予定より少ない。メタンガス騒ぎが発生する。スマホが繋がりにくい。・・・・。』など、ネガティブ報道がたっぷりと連日放映・放送されている。さらに、大阪の小中学校では、児童生徒の無料事業(遠足?)を市長や、府知事がアナウンスしているにも関わらず、万博には行かせないという校長それなりにいるようだ。大阪堺市では、8割、吹田市では、54校が不参加を決定している。大阪市ですら、1割は、参加しないようである。少しつむじ曲がりの校長が判断しているのだろう。逆にそれだけ関心があるからかもしれない。しかし、実際に行ってみなくては、どんなものだかわからないはずなので、いくことにした。

 

 入場チケットは、大人平日6000円、土日祝日7500円である。小生は、前売りを購入していたので、5000円である。スマホのQRコードが入場チケットなのである。しかし、このチケットの購入は結構難しい。2日がかりで、なんとか購入だ。(ユーザーフレンドリからはほど遠い最悪のシステムだ!:個人的感想です。)購入したチケットを家族に転送するのは、更に大変なのだ。当日は、スマホを見せるのが煩わしいので、QRコード付きのチケットを印刷して、それを持っていく。

 

002_20250515140601 004_20250515140601 042_20250515140601    当日、11時に東ゲート入場の予約を入れたので、それに合あわせて、大阪メトロ中央線夢洲駅に到着する。 平日であれば、スムーズにゲートを通過できるだろうと期待してのだが、約30分ほど並ぶことになったのである。”並ばない万博”は、この時点で夢であるとわかった。セキュリテイを通過して、なんとか入場したというのが本音だ。ここまでで、かなり疲れる。

 

 昼飯時となっていたので、まずは、食えるところを探す。、レストランが併設されているパビリオンならば、そんなに並ばなくても食えそう022_20250515140701 030_20250515140801 025_20250515140801 だが、そのパビリオンに入場するのに行列ができている。30分から、1時間くらい並べば、多分入場できるのだが、諦めた。しkタナク、テイクアウトをねらい、カート等の出店を探すことにした。メニューを見るとどこも評判どおり高い。ある程度は覚悟しなくちゃいけないのは、分かっていたが、『味が良ければいいかな。』と、言う程度で決めた。結局おにぎり弁当1600円をレストラン内の席で食うことにした。20分くらい並んで、入場だ。食ってみたところ、まずまずの味だ。しかし、街中であれば、600円くらいの弁当である。やはり値段が高いのを実感した。

 

008_20250515140801 026_20250515140901 013_20250515140901  今回の万博の象徴は、”大屋根リング”であるので、そこに登るのが狙いだが、その前にほとんど並んでない『共同館(コモンズ)』を2つほどブラーッと見学した。混雑はしてないものの、それなりに観客は多い。大国のパビリオンは、最低でも30分は待たねばならないからそれと比べれば、ズーッとタイムパフォーマンスはいい。

 

007_20250515141001 021_20250515141001 029_20250515141001 033_20250515141001 034_20250515141001  大屋根リングは、エスカレーターとエレベーターが設置されているので、登リ降りは、楽である。もちろん階段でもいい。ただし、下りのエスカレーターは、少ないので、注039_20250515141101 意が必要だ。リングには、ところどころトイレが、設置されているので、それは問題ない。リングが、上下2段になっている箇所があり、上のリングに登ると、大阪湾が一望でき、また、万博会場をより広く見渡すことこできる。晴れていれば、六甲や、神戸を見ることもできるのだ。この木造の「大屋根リング」を体験だけでも、この万博会場に来た価値があると思うのだった。1周が2キロメートルというのだから、バカでかい。万博後には、取り壊されるかもしれないが、記念に残しておきたいものであると思うのは、小生だけではないだろう。ジョギングや、駅伝のコースとしても素晴らしいが、維持費が大変だろう。

 

 小生が、出向いた日は、まだ夏本番を迎えてないが、暑さ対策を十分にしてもらいたいものである。埋立地なので、緑が少ない。また、陽を避けるところは、大屋根リングを除くと、パビリオンの中だけだ。これでは並んでいる人が熱中症で倒れてもおかしくないだろう。これからどんな対策を打つのか、興味深く見守りたいものである。また、大屋根リングは吹きさらしだから、横殴りの雨が降ったときには、あまり役に立たない。台風シーズンになると、ちょっと困るだろうな、と、勝手に思うのだった。

 

041_20250515141201  午後になると、入場ゲートはガラガラである。入場係員は暇そうにぶらついたり、雑談していた。出口のところが限定されるので、狭いが、問題ない。夢洲駅に直行だ。

 

 今回は実質の在場時間は2時間半くらいなので、大まかにしか雰囲気を味わえなかった。実際に行ってみてわかったのだが、来場者は、皆楽しそうであった。行列はあるのだが、喜んで並んでいるように見えた。ある種のお祭りの一つだと思えば、それで十分な気がする。小・中学校の遠足でここに来ている生徒・児童もまた、はしゃぎながら廻っている(引率の先生は大変だ)。せっかく、伊丹に住んでいるのだから、予定を立てて再来場してみようと思ったのだ。

2025年5月10日 (土)

住吉大社

 『すみよっさん』の愛称で地元では慕われている”住吉大社”には、2年前に行ったのだった。その時は、この住吉大社にある”卯の花苑”が5月のみオープンされるということで、目的は、『卯の花(ウノハナ)』を見ることだった。今回は、この住吉神社の参拝と、卯の花苑を見学することにしたのだ。

 

 前回と同様に、南海電車の『住吉大社前」で下車すると、道路を挟んだ駅の対面に大鳥居044_20250505194901 010_20250505194801 を見ることができるのだ。この住吉大社は、正月三元日で240万人が初詣に来るという全国 2000社くらいある「住吉神社」の総本社なのだ。参道にある反橋(そりはし)は太鼓橋(たいこばし)とも呼ばれ、この住吉大社のシンボ005_20250505195001 007_20250505194901  ルになっているのだ。明治時代は、この橋を、神様が渡る橋ということで、一般の参拝者は、わたることができなかったという。(今は、そんなことはない。)この反り橋をわたり、境内の門をくぐり、本殿を参拝するのだ。

 

本殿は、第一本宮から第四本宮まで4つある。それぞれ神様が異なるという。せっかくなので008_20250505195101 009_20250505195101 、全部参拝することにした。更に奥に行くと、”初辰さん”の「楠珺社」(なんくんしゃ)がある。ここには、樹齢約800年の”夫婦楠(めおとぐす)”がご神木として、祀られている。ここも参拝することにしたのだ。そして、前回行った”卯の花苑”を見学することにした。

 

2年前に初めて、『卯の花』の本物を見たのだが、今年も同様に、咲いていることを期待した032_20250505195101 036_20250505195201 038_20250505195201 035_20250505195201 034_20250505195201 020_20250505195401 のである。毎年、5月の1ヶ月間のみ一般オープンしているところなのだ。今年もまた、城やピンクの小さな花を咲かせていたのである。なかなか可憐な花であった。ブラブラと見回って、写真を撮り、『卯の花』を見たことで、満足して、帰路についたのであった。

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