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2019年3月30日 (土)

仮想的有能感(当世学生気質26弾)

 タダノ教授は、すでに定年退職を迎え、今は小生と同様に、非常勤という立場である。彼は、長いあいだ多くの学生を相手にしてきただけあって、若者の世代間の特徴というのをよく捉えている。それ故に、彼と酌み交わしながら、歓談すると得るものが大きい。

 

 『しらけ世代』とか『失われた世代』などの、『~世代』などという表題をつけて、世代気質を論じたこともある。これらとは別に、タダノ教授が、ここ数年感じているのが、知識も、能力も、経験もないのに、上から目線で話をする学生が少しずつ増えているというのだ。簡単に言うと、『他人を見下す学生』たちなのだ。タダノ教授は、中部大学の速水敏彦心理学教授の書籍で「他人を見下す若者たち」を読んで、納得したと言う。速水敏彦教授は、ほぼ10年くらい前から、現代若者の考え方を研究している学者である。

 

  聖人君子や、悟りを啓いた禅坊主でなければ、誰しも優越感というのがあるのだ。この優越感が、生きるモチベーションになっている。『他人より、いい成績を取った』、『どこどこの大学に受かった』、『世界記録を打ち立てた』などだ。サラリーマンならば、『同期より出世が早かった。』などだろう。自分に、才能も、経験も、知識もない人は、どうやって、優越感を得るのだろうか。その時は、自分より下位の者を見つけて、意味もなく優越感に浸るのが手っ取り早いらしい。アメリカの人種差別などは、その典型的なものだろう。意味もなく白人は黒人に対して、優越感を持つ。無意識に勝手に他人を評価して、軽視しているのだ。逆に、日本人は、欧米の白人に劣等感を持つ(最近は、かなり減ってきたのだが)ことなどである。

 

 速見氏によると、「自分自身に過去に対した実績がなく、経験が乏しいのに、他者の能力を勝手に低く見て、人を馬鹿にした態度や行動を取ることで、自分は、有能だと思い込み、そうして自己肯定する」わけだと言うのだ。他人に対して攻撃的になり、批判してけなす、自己を正当化する、自分の失敗を認めない、人のせいにする、他人の気持ちを理解しない、自分の批判を聞き入れない、などだ。これは、彼は、『仮想的有能感』と名付けた。

 

 自分になにもないから、他者をバカにすることで、自分を支えようと無意識にしている。

 

 タダノ教授が言うには、どうやら、これは学生の育った環境によることが大きいらしい。昭和育ちのタダノ教授や、小生などは、『成績は、トップを取れ。徒競走では1位になれ。試合では優勝しろ。』などの掛け声で、常に競争の世界にさらされていたのだ。社会に出ても、成績を上がる努力を強いられた。その結果が給料となるのだ。それがモチベーションとなっていた。

 

 今の日本はどうだろう。トップになるための努力は、一部のエリートクラスだ。学業でも、スポーツでも、政治の世界でもである。すなわちナンバーワンを目指すのは、ほとんど一握りである。では大多数は、どうなのだろうか。

 

「ナンバーワンを目指すのではなく、オンリーワンを目指せ。記録に残らなくても、記憶に残ることを目指せ。」今の若者は、こんな育てられ方をしてきているというのだ。「世界に一つだけの花」という歌があり、大ヒットしたのだが、その裏には、こんな、背景があったのだろう。

 

 『自分には、他の人と違った才能があると思う』と言って、高校を中退したり、『自分探しのたびに出る』と言って、会社をやめて、東南アジアをヒッピー旅行に行ったりするわけだ。大勢いれば、一人二人は、その体験記を出版して印税がたっぷりはいって成功するやつがいても不思議はないが、世の中はそんなに甘くはなく、ホームレスになるのが大半のようである。自己認識、社会認識が甘いのである。

 

 とにかく自分には、何人にもない特殊な才能があるはずだと言う”根拠のない自己肯定”をしている。自分よりも下位にある者との比較によって、自分の幸福感を増大させようとするのである。だから、自分より下の存在が必要となるのだ。意味もなく、他人を見下して、自分の存在を確認しているというのだ。

 

 速水氏の著書をもとに、タダノ教授と、若者論について、議論していたら、哲学的な話になってしまった。

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コメント

偶然拝見させてもらいました。65歳男で、趣味で戯曲を書いています。

「見下す」ことが罪悪であることはもちろんです。ただ、ひとこと言いわせてください。
根拠もなく自信を持つことは、悪いこと、と決めつけるのはどうでしょうか。
根拠などというものは大抵の場合、後から気付くものではないでしょうか。
たとえ根拠が分らなくても、ひとまず、自分に自信を持つ。
他人への攻撃は自信のあるなしではなく、その人間の性格の問題です。
自信があっても性格がやさしければ、攻撃はしません。
自信を持つことは悪い事ばかりではない、何か信念を持つことは大切なことです。
それがなければ、スポーツひとつ、創作ひとつ出来ません。

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