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2024年9月

2024年9月30日 (月)

ITAMI GREENJAM'24

 小生の住んでいる伊丹で、無料の音楽フェスティバルが開催されているのだが、今回が、11回目になるのである。9月23日、24日に地役所の近くにある「昆陽池(こやいけ)」が会場である。

2024_HOME | ITAMI GREENJAM

 

1_20240926144101初日は、雨模様なので、行くのをあきらめた。二日目の24日は、前日とは打って変わっての秋晴れであり、爽やかだった。

 

 昆陽池は、一周が、ほぼ、2kmあり、伊丹市昆虫館というちょっとだけ有名な施設もある。今の天皇が、皇太子のときに訪れたこともあった場所だ。また、ランニングコースも整備されており、小生のトレーニングコースの一つでもある。(小生にとっては、Bコースだ。Aコースは、端ヶ池コースである。)自宅から、歩いても15分とかからないところである。(自転車なら5分で、到着だ。)

 

20240923120954  20240923120848 10時開始(開演?)であるので、まだ30分もたってないが、すでに入場者の波であり、模擬店では、行列ができていた。皆がこの開演を待ちわびていたということだろう。なにしろ、無料の音楽フェスティバルでは、規模が、関西一大きい。連休であり、秋晴れなので、家族連れが目立った。また、模擬店でも、子供向けの品が数多くあるのだっ 2024092311172020240923114433 20240923120725 た。ミュジシャンの演奏は、全部が無料というわけではなく、一部ステージは、パスを購入する必要がある。ただ、スピーカーを通じて、ガンガン鳴り響いているので、聞くだけであれば申し分ない。

 

20240923112347 20240923112425 20240923112510  バザーでは、売れ残りの衣類を販売していた。T-シャツは500円であり、その他は全部1000円というテントショップがあったので、そこで、未使用の上着を買ってきた。冬用である。そして帰路につく。

 

 程々に楽しい、音楽フェスティバルであった。

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2024年9月25日 (水)

竹駒稲荷

 日本三大稲荷というと、伏見稲荷、豊川稲荷、そしてこの竹駒稲荷だ。この竹駒稲荷だが、前二者と比べると、認知度は、グーッと落ちるがそれは仕方がない。小生だって、調べて初めて判ったのである。仙台市の隣が名取市であり、その隣の岩沼市にこの竹駒稲荷があるのだ。仙台空港から近いので、飛行機の出発時刻までに余裕があるならば、寄ってみるのも良いかもしれない。20分くらいのドライブで到着である。

 

 歴史としては、第54代仁明天皇の時代に遡る。西暦842年に小野篁(おののたかむら)が奥州鎮護の神として創建されたというのだ。小野篁は、小倉百人一首にも名前があるのだB002_20221122085301 B005_20221122085301 B003_20221122085401 から、それなりの地位であったろう。『わたの原 八十島・・・・・』という短歌である。今はそんなことはどうでも良い。この神社駐車場は、広いし無料だ。この駐車場の本殿とは反対側に、結婚式場がある。鉄筋の立派な建物であった。

 

B006_20221122085501 B008_20221122085501 B007_20221122085501  早速、楼門(寺ならば山門か?)をくぐると、稲荷神社の象徴である狐の像がある。ここの狐は、稲穂を咥えている像である『飛躍の霊狐像』と、名付けられていた。そして、もB001_20221122085601 う一つ大きな唐門(デカいちょうちんのぶら下がっている門)をくぐるとやっと社殿(寺なら本堂だな?)へ出ることができる。例に習って、「二礼二拍一礼」の参拝だ。きっと何かしらのご利益があるかもしれない。(信じよう?!)

 

B013_20221122085601 B014_20221122085601 この社殿の脇に、全国6箇所の神社(出雲大社や、北野神社など)のミニチュア版が並んでいた。合わせて参拝ができるというのだ。その気があれば、リモート参拝(?!)ができるのだ。(時代を先取りしていたのかな。ふとそんな事を考えてしまった。)

 

 伏見稲荷と、豊川稲荷はすでに訪れていたので、これで三大稲荷をクリアしたことになる(ゲームだね。)そんな事を考えなら、竹駒神社をあとにした。

      注:写真は、2022年10月中旬に撮ったものです。

2024年9月20日 (金)

たからづか牛乳

  宝塚歌劇と、手塚治虫記念館で全国的に有名な宝塚市ではあるが、おいしい牛乳があることは地元以外は、知っている人は少ないようだ。「たからづか牛乳」ということで、販売されている。この牛乳は、あっさりした喉越しが、魅力なのだ。低温殺菌で作られた牛乳で、その自然な味わいなのである。牛にストレスがかからないように、六甲山の地下水とクラシック音楽を聴きながら育った牛から絞っており、63度の低温殺菌で製造されていいるのだ。当然のことながら、大量生産はできないのである。また、この牛乳で作られたヨーグルトは、当然のことながら、酸味がない。

 

 大量生産は、できないので、販売店も限定されている。 宝塚は、小生の住んでいる伊丹021_20240830134701 024_20240830134801 に接していることもあり、比較的、入手できるのだ。それでも、少し遅く行くと、品切れの場合がある。小生は、阪急宝塚駅に隣接している商店街”ソリオ”の販売所で、牛乳とヨーグルトを購入してきた。牛乳は、180mlで230円であった。価格は、高めだが、喉越しが気持ちい。ヨーグルトは、300gで500円だ。味は、濃厚であり、全く酸味がない。

 

 スーパーで、販売されている牛乳や、ヨーグルトに飽きたならば、この「たからづか牛乳」を味わうといいかもしれない。全く別物であることがわかるのであった。

2024年9月15日 (日)

とんかつ 小ばやし

  最近は、大阪梅田に出ることは、あまりない。今回は、友人の頼みで、大阪駅で待ち合わせることになった。ちょっとした預かりものを渡してすぐに別れた。昼前なのだが、このまま帰宅してもいいのだが、久々に、大阪駅界隈で、昼飯を食うことにした。

 

 就職のために、大阪に来たのが、47年前である。物珍しいこともあり、週末は、大阪梅田に出ることが常だった。東京とは、異なった文化圏であると聞いていたので、それを体験するのが目的だ。俗に言う”コテコテ”の大阪を見てみようということだ。しかし、実際は、大阪梅田は、コテコテではなく全く東京と変わりがない。せいぜい食い物がちょっとばかり味に違いがある程度だった。実は、後でわかったのだが、大阪の味を知りたかったら、手っ取り早いのは、天王寺、西成、道頓堀あたりの定食屋に行けばよいのだった。コテコテのソース味のコナモン(粉もの:たこ焼き、お好み焼きなど)を食わせているのだ。

 

 とはいえ、当時昼飯として、食った”とんかつ定食”は美味かったのである。何しろトンカツの豚肉が和らいのが、当時の小生には新鮮だった。阪急東通商店街にある”とんかつ 小ばやし”という店だったのだ。大阪駅界隈に出たときは、時々であるが、この”とんかつ”を食べるのであった。今回久々に、当時を思い出し、この”とんかつ 小ばやし”で昼飯を食うことにしたのだ。創業が、昭和5年というのだから、歴史がある。

 

 ネットで調べると、どうやら移転したらしい。少し迷ったが、地図を頼りになんとかたどりImg_2694 着 いた。以前の場所からそんなに離れてはいない。むしろ阪急大阪梅田駅に近いところになっていた。入ってみると、カウンター関のみである。また、正午前なので、比較的空いていた。「お品書き」を見て、1日限定15食限定の「名物小ばやしのとんかつ(130g)」(1560円)を注文したのである。限定メニュウに幸いなことにまだ余裕があるとのことだった。

 

 待つこと15分くらいだ。御飯と味噌汁に漬物、そしてサラダ(キャベツのみ)がつくのだっImg_2698 た。キャベツはおかわり自由とのことである。トンカツは、カラーッと揚げられており、以前同様に柔らかくて、食べやすい。どうやら、”小ばやし”の味は、守られているようだ。満足して、帰路についたのである。

 

 今回は、「食レポ」ではなく、「ノスタルジー・レポ」なのである。 小生が初めて食べたのは2代目の店主のときだったが、今は、3代目である。この”とんかつ小ばやし”のホームページには、歴史が、記載されており、それによると、一度は閉店したようだ。その後、現在の地で、再開したとのことだ。

 

2024年9月10日 (火)

アンナ・カレーニナの法則

  タダノ教授と居酒屋で呑んでいた時に、彼はロシアの文豪であるトルストイの代表作の1つである「アンナ・カレーニナ」に対して関心があり、調べているという。と、言ったところで、いっぱい飲みながらなので、そんなに深い話ではない。所詮、酒のツマミみたいな内容なのだ。彼は、博識なので、話題には困らないのがうらやましい。しかし、理工学部を専攻していたのだから、文学に強い興味を示しているのを見たことはなかった。どうやら、「アンナ・カレーニナ」の内容についてではなく、その小説の書き出し部分に、強い関心があるということなのだ。それが法則になっている、と、教えてくれた。やっぱりタダノ教授は、文学とはあんまり縁がないようだ。この小説の出だしの部分だけが彼の関心ごとだったということだ。

 

 小生は、「アンナ・カレーニナ」を読んだことはない。恋愛小説の部類に入るのだろうが、ほとんど興味はない。その冒頭のフレーズが『すべての幸せな家庭は似ている。不幸な家庭は、それぞれ異なる理由で不幸である。』と、なっているのだ。これを”成功”と”失敗”に置き換えると、「成功するには、共通の理由があるが、失敗には、色々な理由があるはずだ。」と、なる。研究や、開発も、同じように表せることができる。これらが、アンナ・カレーニナの法則と言われる所以なのだろう。

 

 トルストイの有名な小説であり、ゴロもいいので、この法則が根づき研究、開発、ビジネスを始め色々な場面で、もっともらしく言われるようだ。しかし、考えてみると、現在は、こんな単純な法則からは、多々外れるのではないかと思うのだ。マイクロソフト、アマゾン、などのGAFAの成功物語を読むと、成功するためには、共通の理由はあるだろうが、それよりも、それぞれいろいろな理由があるのだ。それらを研究することで、彼らの成功の理由がわかり、これからのビジネスに役立つようである。

 

 プロ野球の名監督の一人である野村克也の名言に「勝ちに不思議の勝ちあり。 負けに不思議の負けなし」というのがある。実際は、野村克也の名言ではなく、江戸時代の肥前国平戸藩の第9代藩主である松浦静山の言葉なのである。野村克也は、この言葉を座右の銘としたようだ。

 

 小生が、タダノ教授から、「アンナ・カレーニナの法則」を、言われた時に、真っ先に思い出したのが、この松浦静山の銘言である。こっちのほうが、日本人にはすんなりと胸に迫るのではないかと感じるのであった。

2024年9月 5日 (木)

伊丹廃寺跡

 小生の自宅から、70mも歩くと、自衛隊の司令部である「西部方面総監部」がある。その 30 028_20240820094101 正門前の道路を挟むその正面に、あるのが、「伊丹廃寺跡」である。伊丹市の名所・旧跡というのであるが、とても名所ではない。しかし、旧跡では、ありそうだ。

 

 伊丹市のホームページにこの伊丹廃寺跡のことが、掲載されていた。それによると、奈良時代の寺院跡ある。昭和33年(1958年)から40年まで発掘調査がおこなわれ,奈良の法隆寺と同じ伽藍配置をもつことがわかったのだ。そして、昭和41年に国の史跡に指定され,金堂跡・塔跡を中心とする一帯が史跡公園として整備されているのだ。遺構と伽藍配置は“法隆寺式”で,東に金堂,西に塔が並列して南面しImg_2683 てる。これらを囲んで回廊がめぐり,南に中門,他の三方にも僧門がある。講堂は金堂の北方にあり,その両側に僧房が続くのだ。

 

 この伊丹廃寺が全盛だった頃は、東の法隆寺、そして西の伊丹廃寺(本来の名称は、別Img_2689 Img_2690 にあったと思われる)と、言われるくらいだったのだ。それだけ栄えていたのであるが、今は、金堂の跡と、塔があった跡があるのだ。とても伊丹の観光資源というのは寂しい。学術的には、素晴らしい遺跡なのだろうが、修学旅行で、訪れる場所でもない。だから、廃寺つまり、伊丹廃寺跡として、保存されているようだ。

 

 歴史的に素晴らしい、価値があるところなのだが、残念ながら、専門家と地元の人々以外には、殆ど知られてない場所である。5分もあれば、グルーっと見回れるのだから、チャンスが有れば、訪れてほしいところでもある。そして歴史を感じてほしいものである。

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