宝塚 小浜宿 (後篇)
小浜資料館を出て、毫摂寺(ごうしょうじ)に向かう。と、言っても資料館の裏側の通りに 面しているのだ。ちょうど、小浜小学校の眼の前である。休み時間なのだろう、児童の黄色い声が賑やかに聞こえるのだった。
境内には無料で入場できる。すぐに本堂が見える。ここは特別なとき以外は入ることができない(らしい)。それでも立派なのはわかるのだ。この本堂は、いくどとなく建て替えており、現在は、阪神淡路震災後の平成27年に周布区されたものとのことだ。この寺には、悲劇の歴史があるのだ。豊臣秀吉の甥であった秀次が、この住職の次女であった亀姫を側室で迎えたものの、秀次が失脚(28歳)した後に、亀姫は、京都市城川原で、処刑されたという。
また本堂の隣接して、立派な建物である「開基堂」ある。これはこれで、立派な納骨堂なのである。なんとなく仏教寺院としてはチョット場違いな気分であった。
毫摂寺から少し歩くと、「首地蔵」がある。名前からして、少し怖い気がする。行ってみる
と、思っていたより大きい「首地蔵」であった。2体あって、向かって右側の地蔵が古い。昭和50年に古い首地蔵は放火にあって右目や口の一部が欠けたので、地元の人が寄進したとのが左側が新しい地蔵とのことだ。
首だけで1メートル30センチ、耳だけでも60センチあるようだ。こうなると、テレビで言われている珍百景であってもおかしくない。特に首から上の病に対して、ご利益があるという。地元では、とても愛されているのだ。小生も十分に、賽銭を納めて、感謝するのであった。
グルーっと小浜宿を回ると、間違いなく1日は、かかる。大堀川に囲まれた、江戸時代の交通の要所であったので、発展した宿場町である。阪神淡路震災後の宝塚市が、力を入れ て、復興したのがよくわかった場所である。しかし、難点は、駐車場だ。近くに一般の駐車場がない。まして、観光バスが駐車するところもない。本格的に、この小浜宿を宝塚市の観光スポットにするならば、宝塚市は、もっと考えて、充実させる必要があるだろう。
しかし、人気が出たら、オーバーツーリズムの問題が発生するだろうから、小生としては、個人的に、このまま静かな観光地としてあったほうが嬉しい。まあ、宝塚市民が考えればいいことだから、どっちでもいい。
しらんけど!
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