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2024年11月

2024年11月30日 (土)

宝塚 小浜宿 (後篇)

  小浜資料館を出て、毫摂寺(ごうしょうじ)に向かう。と、言っても資料館の裏側の通りにC024_20241124091601 面しているのだ。ちょうど、小浜小学校の眼の前である。休み時間なのだろう、児童の黄色い声が賑やかに聞こえるのだった。

 

C012_20241124091701 C026  境内には無料で入場できる。すぐに本堂が見える。ここは特別なとき以外は入ることができない(らしい)。それでも立派なのはわかるのだ。この本堂は、いくどとなく建て替えており、現在は、阪神淡路震災後の平成27年に周布区されたものとのことだ。この寺には、悲劇の歴史があるのだ。豊臣秀吉の甥であった秀次が、この住職の次女であった亀姫を側室で迎えたものの、秀次が失脚(28歳)した後に、亀姫は、京都市城川原で、処刑されたという。

 

 また本堂の隣接して、立派な建物である「開基堂」ある。これはこれで、立派な納骨堂なのである。なんとなく仏教寺院としてはチョット場違いな気分であった。

 

 毫摂寺から少し歩くと、「首地蔵」がある。名前からして、少し怖い気がする。行ってみるC016_20241124091801 C025 C028 と、思っていたより大きい「首地蔵」であった。2体あって、向かって右側の地蔵が古い。昭和50年に古い首地蔵は放火にあって右目や口の一部が欠けたので、地元の人が寄進したとのが左側が新しい地蔵とのことだ。

 

 首だけで1メートル30センチ、耳だけでも60センチあるようだ。こうなると、テレビで言われている珍百景であってもおかしくない。特に首から上の病に対して、ご利益があるという。地元では、とても愛されているのだ。小生も十分に、賽銭を納めて、感謝するのであった。

 

 グルーっと小浜宿を回ると、間違いなく1日は、かかる。大堀川に囲まれた、江戸時代の交通の要所であったので、発展した宿場町である。阪神淡路震災後の宝塚市が、力を入れC013_20241124091901 て、復興したのがよくわかった場所である。しかし、難点は、駐車場だ。近くに一般の駐車場がない。まして、観光バスが駐車するところもない。本格的に、この小浜宿を宝塚市の観光スポットにするならば、宝塚市は、もっと考えて、充実させる必要があるだろう。

 

 しかし、人気が出たら、オーバーツーリズムの問題が発生するだろうから、小生としては、個人的に、このまま静かな観光地としてあったほうが嬉しい。まあ、宝塚市民が考えればいいことだから、どっちでもいい。

 

 しらんけど!

2024年11月25日 (月)

宝塚 小浜宿 (前篇)

 自宅のある伊丹の隣の街が宝塚であるが、そこに宿場町があったのだ。小浜宿(こはまじゅく)という場所である。自宅から、4.7キロメートルところだ。時々は、ランニングのコースで、このあたりまで、来たのである。中国自動車道の宝塚ICの近くである。あまり目立たない宿場なのだが、地元では、町並みを保存し、宝塚市も、それをサポートしているのだ。今回、気になったので、宿場町界隈を散策してみることにした。

 

 176号線バイパスの宝塚ICのすぐ近くに小浜(こはま)の交差点がある。当初は福井県にある”小浜”(おばま)と同じ読みの交差点だな。と、思っていたが、”こはま”と、読むのが正しいと知ったのは、かなり経ってからであった。福井県の”おばま”はNHKの朝ドラに取り上げられたし、何しろ北陸新幹線の予定建設駅となっているし、さらに一昔前の米国大統領”オバマ”と同じ読みなのだから、読み方が脳に焼き付いてしまっている。

 

C005_20241124090801 C017_20241124090801 C020 C006_20241124091201  まずは、この小浜宿に行ってみることにしたのだ。ネットの情報では、一般のコイン駐車場は、この宿場内には1つしか無くそれもわずか6台ですぐに、満車になるという。そこで、176号線を挟んだところにある宝塚市のスポーツセンターの駐車場を利用することにした。小浜宿からは、400mほど、歩くことになるのだ。

20241114__1 20241114__3 C018_20241124091101  そして、まずは、小浜宿資料館を目指す。宝塚市が運営しているので無料である。小浜宿の歴史がわかるというのである。展示物を見るために、中に入ったところ、とあるグループがスタッフの説明を受けていたのであり、ついでなので、それに参加することにした。わかりやすい説明である。資料館の中のジオラマを前に、歴史を説明していたのである。

 

 小浜宿は、15世紀末には、どうやら存在が確認されていたようだ。そして、江戸時代は、”有馬街道”、”京伏見街道”、”西宮街道”の合流点となっていたため、江戸時代に、ここが宿場町として発展したという。造り酒屋、毫摂寺(ごうしょうじ)など歴史的な建物が残されていたが、1995年の阪神・淡路大震災でかなり被害を受けたという。その後、市をあげC019 C007_20241124091101C021_20241124091101 C010 て、復興させたという。資料館の内庭には、「玉の井」という、井戸があり、特別に、見せてもらえた。豊臣秀吉が有馬温泉に向かう途中で、毫摂寺(ごうしょうじ)で、宿泊したときに千利休が茶を入れたという。その時、この井戸水を使ったとされている。

 

C011_20241124091301 C023 C027  ところで、2018年1月にNHKの番組である「プラタモリ」で、宝塚を紹介したときにに、この小浜宿が取り上げられたのであった。宝塚大劇場や宝塚温泉、なども合わせて、(というより、小浜宿が合わせて)紹介されたのであった。小生の記憶では、アシスタントアナウンサーは近江友里恵アナだった記憶がある。

(後編)に続く

2024年11月20日 (水)

”カナリヤ”と”てるてる坊主”

 小学生の時に歌った(歌ってもらった)童謡の中に「歌をわすれたカナリヤ」があった。音楽の教科書に載っていたような気がする。なかなかきれいな曲であり、印象に残ったものである。

童謡歌手がきれいな声で、”歌を忘れたカナリヤは・・・・♫”(作曲:成田為三、作詞:西條八十)などと、歌うのは、思わず聴き惚れてしまう。しかし、この歌詞をよく読むと、とても残酷な内容だ。”~すてましょうか♪”、”~うめましょうか♪”、”~ぶちましょうか♪”など、とても子供向けとは思えない。小学生の時には、何も感じなくただ歌くことに専念したのだ。

 

 しかし、今は、「こりゃだめだ。小学生が歌う歌詞だじゃい!!」と、思うのである。たしかに今は、このが歌われているということは、聞かない。そもそもこの歌は、昭和の歌ということで、クローズしたようだ。もっと酷い歌もある。それが、”てるてる坊主”だ。小生たちの世代より上の人は、誰でも知っている童謠だ。今でも天気になってほしいときには、てるてる坊主を軒先にぶらせげることを、小さい子供がいる家では、やっているはずだ。この童謠を知っている人がどれだけいるがわからない。

 

 しかし、てるてる坊主をぶら下げれば、天気になるというおまじないであることを知っている子どもたちは結構いる。しかし、この”てるてる坊主”の歌詞は、残酷この上ない内容だ。とても小学校の教科書に載せられないのはわかる。この童謠の3番が酷い。”首をちょん切るぞ”などという、歌詞があるのだ。これじゃ、とてもでなければ、教科書に載せられないのはわかる。1番2番は、おとなしい歌詞だが、この3番がアウトなのである。まあ、3番を削除すれば、問題ないのだから、世の中で、広まっていてもおかしくはない。テレビでは、今でもあした天気になってほしいときは、てるてる坊主をぶら下げているシーンがよく見かける。

 

 それにしても一昔前(昭和時代?)は、残酷な歌詞の童謠でも、音楽の教科書に載るのだから、おおらかな(?)時代だったかもしれない。と、あらためて、思う次第である。

2024年11月15日 (金)

一億円のティッシュ

やっぱり、出た!!

 

 福沢諭吉の1万円札が、発行されたときに、これをデザインしたティッシュペーパーが出たのだ。正確には、ティッシュペーパーの箱に、一万円札が印刷されたティッシュペーパーが、色々なメーカーの拡販材料(土産物)として、記念品として配ったのであった。

 

 今回、スマートフォンの契約拡販のセールスショップで、ついに、一億円デザインのティッシュペーパーの箱入りティッシュペーパーをゲットしたのである。「だから何なのさ?」と、問われても何も答えることができない。「ついに出たんだな。」という程度の感想だ。福沢諭吉の時は、チョットだけ「面白いシャレだな。」と、思ったのだが、渋沢栄一の時は、「やっぱり。」と、言う感想だ。二番煎じは、所詮、オリジナリティは皆無だ。

 

 ただ面白いだけである。紙幣のデザインが変わるたびにこの様なシャレが出るんだな。日本は、平和な国である。

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2024年11月10日 (日)

公正世界仮説

  タダノ教授は、ほぼ学究生活からの引退準備を本格的に開始し、今までの成果をまとめているようだ。未発表の論文が、かなりあるらしく、そのまとめで忙しいという。そんな彼と、久々に、また居酒屋談義をやることにした。彼にとっても気分転換になるようだ。駅前の焼き鳥屋が、小生とタダノ教授の気に入っている居酒屋だ。

 

 彼が小さいときから気にしていることがあるという。子供のときに、よく親から「そんなことをしたらバチが当たる!」とか「悪いことをしたら、天罰が下る。」と、言われたのだ。それは、小生も同じだ。また同様に、子供をしつけるときに、同じように言う場合が多い。タダノ教授は、『”バチ”とは、何か?本当に当たるものか?”』と、疑問に思っていたらしい。子供向けのテレビ番組では、悪人が滅び、最後は、幸せになって終わるという「勧善懲悪」ものが、当時は殆どである。また、映画のストーリも似たようなものだった。特にヒーロー物がまさにそのものズバリだ。

 

 タダノ教授によると、どうもこのように「正義は常に勝つ。正しい行いをすれば、いいことがある。」という倫理観に基づく教えは、世界共通だというのだ。これを「公正世界仮説」というと教えてくれた。たしかに、外国ドラマや映画を見ると、結末は、この勧善懲悪に満ちている。(最近は、そうでないのが増えているが、マイナーだ。)では、本当に良い行いをすれば、良いことがあるのだろうか。そして、悪いことをすると、悪いことが身に降りかかるのか。これを検証することができるのだろうか。タダノ教授は疑問だという。宗教家の中には、天からのお告げで、そのような体験をした人がいるかもしれないが、タダノ教授や、小生は、根っからの科学者であり、証明されないものを心から信じることはできない。

 

 では、逆に、突然、災難に降り掛かった人は、なにか悪いことをした人なのだろうか。平和で豊かな国民が戦争に巻き込まれた例は、歴史上いくらでもある。今でもあるのだ。彼ら/彼女らは、悪いことをしたというわけではない。しかし、どう考えても不幸な目にあっている。また、国と国の争いでなく、ひょっとしたら、明日突然交通事故に巻き込まれるかもしれないのが、現実なのだ。特に悪いことをしたわけではないが、事故などが身に降りかかることなどいつだって発生しても不思議はない。

 

 夜遅く、女性の独り歩きが、暗がりで襲われたという事件は、アチコチで、新聞三面記事にある。その時のコメントとして、毎度のことながら、女性が夜遅く暗がりを一人で歩くことが悪いように言われる。しかし、これは明らかにおかしい。襲ったやつが100%悪いのだ。女性は、被害に巻き込まれただけだ。

 

 交通事故の場合でも、その時刻でそこにいたのが悪いような記事がある。これもまた、おかしい。特に、老人や、子供が一人でいた時に、交通規則を守っていたとしてもだ。これなどは、理不尽甚だしい。運が悪かったで済ませるわけではない。100%事故を起こしたほうが悪い。被害者になんの落ち度もないのだが、えてして、被害者がそこにいたのが悪いという論評があるのも事実だ。

 

 「世界公正仮説」は、やはり仮説であって、証明できない。世の中は、正しい倫理観に囲まれているのが、被害者にも責任があるというような論法になる。この仮説は、検証も証明できることはないだろう。タダノ教授は、未だ正解の出てないこの仮説を今後も検証していくという。多分ライフワークになるのだろう。暇でなければ出来ない仮説の証明である。

2024年11月 6日 (水)

エメットの法則

  「やらなければいけないことを先延ばしにすると、すぐにやり始めたときよりもかなりの時間とエネルギーがかかるようになるのだ。」と、タダノ教授が教えてくれた。たしかに、小生も学生時代は、宿題をすぐにやらず、直前に慌てふためいたことが、小学校や、中学校時代にあったものである。それは、タダノ教授も同じである。締切に余裕があると、なんとなく後回しにするのだが、気になっていることは事実である。

 

 経営コンサルタントのリタ・エメット氏が、唱えたことなので、エメットの法則と言われているらしい。タダノ教授は、体験から理解しているようだ。夏休みの宿題などその典型だ。1学期の終業式から、2学期の始業式まで40日まであるのだから、休みに入ったからと言って、すぐに取り掛かる必要はない。しかし、8月の最終週になると、流石に慌てふためいて、取り組んだことが、1度や2度でない。締切が近づかないと、なかなか、取り組めないものである。しかし、流石に一週間前ぐらいになると、めちゃくちゃ慌てるのであった。それでもなんとかなったのだから、いい思い出として、残っている。

 

 会社生活においてもこのエメットの法則というのは、納得できるものであった。当時こんな法則を知らなかったのだが、期限ずーっと先だと、なかなか取り掛からない。気にはなるけど、後回しにするのであった。しかし、これが、大失敗なのであることを「エメットの法則」は言っているのである。プレゼンテーション資料を作成するのに、直前まで後回しにすると、精神的な時間の使いがメチャクチャ、ややこしくなるのだ。何しろ、”焦り”が出てくるのである。必要なレポートを期限までに提出することの大変さを嫌と言うほど納得するのであった。

 

 

 完全隠居する前には、流石に期限が迫って、焦って資料を作るようなことはなくなった。それは、「先延ばしをすると、損になる。」と、言うことをイヤーッというほどわかってきたからかもしれない。「仕事を先延ばしすると、実際の仕事量よりバイの時間とエネルギーが必要」と、言うのがわかったかもしれない。

 

 エメットの法則をもっと早く知っていたら、小生の会社生活は、グーッとよくなったかもしれない。要するに、やらなくちゃいけないことは、完全な準備がなくてもすぐに取り掛かることなのだ。それが、結局全てうまくいくということなのである。完璧に結果を出すことでなく、まず取り掛かることが大切なのである。

 

 現役時代に、この心がけがわかっていたら、会社生活が、もっと充実していたかもしれないな。

2024年11月 3日 (日)

ピーク・エンドの法則

 タダノ教授は、小生と同様に、ハリウッド映画がを見るのが趣味である。小生の場合は、日常英語(学校で習わないような英語?)を学ぶのが楽しいから言語で見ているのだ。タダノ教授は、映画のストーリーや脚本を考えて鑑賞しているという。色々な楽しみ方もあるのだから、それはそれでいいのである。

 

 映画には必ず、クライマックスがあるのだ。そして、ラストシーンがあるのだ。当然である。そのクライマックスと、ラストシーンが素晴らしいものであれば、記憶に残るのだ。ジュラシック・パーク、バック・トゥ・ザ・フューチャー、燃えよドラゴン、など今でもどんなシーンであったかなど、覚えているものである。一昔前だとしたら、”風と共に去りぬ”などは、名作中の名作なので、ラストはハッキリと覚えている。

 

 タダノ教授によると、これは”ピークエンドの法則”というのだという。ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンが1999年に論文を発表したのだ。

 

「人は自身の経験を最も感情が昂ったときの印象(ピーク)と最後の印象(エンド)で判断する」と、いう法則なのだ。

 

 映画では、他のシーンが面白くなくても、クライマックスと、ラストが素晴らしいと、記憶に残るというのだ。この法則は、以外に利用されていると、タダノ教授は言った。これは映画だけにかかわらず、テーマパークで、アトラクションに3時間並んで5分間の乗り物に乗り終えたときの感覚ということだ。理屈で考えると、5分間のために3時間も並ぶのは真に効率が悪い。しかし、乗り終えたときの清々しい気持ちが3時間並んだことよりも価値があると感情が判断するのである。最後のアトラクションの体験が、ピークになるということなのだと、タダノ教授が説明してくれた。言われてみると、たしかにそのとおりである。

 

 反対なこともあるという。とっても美味しい食べ物を出してくれたレストランで、最後に、トラブル(会計や、割引クーポンの利用などで)が発生すると、今までの感激が、スーッと冷めて、後味の悪さが残り、そのレストランには2度と行く気にならないものだ。従業員が、最後まで笑顔で店を送り出してくれると、気分も良くなる。これなどもピーク・エンドの法則なのかもしれない。

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