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2024年12月

2024年12月31日 (火)

年末の挨拶(2024年)

 本年も、小生のブログを愛読していただき、ありがとうございました。今年の3月を持って、大学教員を引退(定年)しました。その後は、マイペースで、毎日を過ごしています。ただ、よる年波には、なかなか勝てず、膝や、背中、そして時には、腰などに、張りや凝りが出てきてます。それでも、なんとか体調と、健康の維持に努めてます。

 

 以前ほどのペースでのランニングは、ほぼ無理ですので、好きなペースで、近所のすきなところを走り回っております。スーパー・スロー・ランニングですので、ときには、ウォーキングしている人に抜かれることもあります。「あと人も健康維持のために歩いているのかな?」という程度の、感想を抱く程度です。以前でしたら、意地でも追っかけていたのですが、心のなかで、『頑張ることにするか』という程度の感じです。

 

 皆様、本年は、このブログへの応援、どうもありがとうございました。

 

良いお年をお迎えください。

2024年12月25日 (水)

第20回宝塚ハーフマラソン大会

 久々の、市民マラソン出走顛末記である。情けないことに、今年2回目の市民マラソンへの参加なのだが、2024年最後の顛末記となってしまった。古希をすぎると、体にガタが来ているので、根性だけでは、走り切ることが難しいのであるが、これは仕方がないとやや諦めている。手頃で、近場で、なおかつ楽しみで、ついでに完走できそうな市民大会を選んで参加している次第である。12月22日(日)に開催された「第20回宝塚ハーフマラソン大会」に出走したので、その顛末を記することにした。今回は2回目の参加だ。(前回の参加は、5年前である。その後、コロナで中止され、昨年復活したのである。)

 

 今回は、隣街の宝塚市で行われる「宝塚ハーフマラソン大会」にエントリーすることにしたのは10月だ。メインのコースは、ほとんど武庫川河川敷なので、フラットである。そして、10kmくらいまでならば、ほとんど楽しみで走ることができるので、クォーターマラソン(約10.55km)の部を選んで走ることにした。それでも、関門が80分というのであるから、少し厳しい。ハーフマラソン(21.1km)は自信がなかったというのが本音である。大会を目標にトレーニングするのだが、今年の10月、11月は、30℃を超える日が多く、とても屋外で、ランニングなどできない。12月なりやっと秋らしくなって、走り込ができるようになったのである。昔とった杵柄(?)を利用するしか無いかな、と、考えて納得する次第だった。

 

 当日(12月22日)は、この冬一番の寒さの日であった。(”天は、我を見捨てたり!”の気持001_20241224204101 004_20241224204101 021_20241224204101 009_20241224204201    ちだ。)JR宝塚に到着したのは、午前7時半だ。寒い北風が吹いている中を武庫川河川敷に向かって歩くのだが、何しろ寒い。ネットにて、受付は完了しているが、記念のT-シャツを貰うことと、手荷物を預けるトラックが、河川敷に止まっているのだ。更衣室やトイレも備わっている。集合は、8時半からであるが、8時に着替えた後の手荷物を預けてしまうと、集合を待つだけである。30分間、河川敷の吹きさらしでは、寒くてたまらないので、風よけのために更衣室のテントの脇で、ひたすら待った。(それでも寒い!)8時半に集合がかかり、スタート地点に、並ぶのだ。宝塚大劇場の前の”はなの道”が集合場所だ。ハーフと、クォーターは同時に9時15分スタートなので、やはりここでも寒い中を45分待つことになる。運良く若干の日差しが出たので、ちょっとマシだった。

 

 開会式が9時から行われるのだが、縦に長い集合場所(道路だから仕方がない)なので、拡声器で、放送されるのであった。ただ、音量が大きくただギャーギャー怒鳴っているだけ010_20241224204201 007_20241224204301 011_20241224204301 にしか聞こえない。宝塚観光大使の間寛平(ハザマカンペイ)と、MCの石原小百合の二人が、スタートまで、騒がしく喋りまくっていた。9時15分のスタート合図があったが、スタート地点まで、約2~3分ほどかかる。昨年は、3000名くらいの参加だったらしいが、今年の参加は、5000名を超えているので、スタート地点までが時間がかかるのだ。宝塚市長が挨拶したのであるが、それによると今年の最年長は、91歳とのことだ。彼と比べたら、小生は、若い。(ヘンナ自信がみなぎるのだった。)小生は、クォーターの部であり、直接は関係ないが、ハーフマラソンの部は、コースとなっている武庫川河川敷の護岸工事のために、10マイルに変更となっていた。

 

023_20241224204301 008_20241224204401  スタート地点をすぎると、手塚治虫記念館がすぐに見える。そこから、宝塚大橋をわたり、市街地に向かうのだ。そして、逆瀬川の堤防伝いを走り抜け、武庫川河川敷に出る。ここまで、約2.5km位だ。あとは、ひたすら河川敷の013_20241224204401 024_20241224204501 033_20241224204501 014_20241224204701 コースを走るだけである。変化が少ないので、記録を狙っているランナーには都合がいいかもしれないが、小生のように楽しみで走っている参加者には、少し退屈である。折り返し地点050_20241224204701 031_20241224204701 は、約7キロメートルのところにある。残り、3.5kmを、ただひたすら、ゴールを目指すだけだ。ただ、嬉しいことに、ゲストランナーの”きゃっするひとみー”さんが少し横に並んで、走ってくれて、更に一緒に並んで、写真を取らせてもらったことである。とても記念になったのだ。この”きゃっするひとみー”さんは、ママさんマラソンランナーであり、インスタグラムにてマラソン大会のインフルエンサーをして、名を成した方である。女性としては、背の高いきれいな方であった。

 

 035_20241224204901 016_20241224204801  80分関門のゴールであったが、しっかりと予定通り、70分台で、フィニッシュしたのである。そして、記録チップをシューズから外して、返却するのだった。若かりし頃は、40分台で、ゴールしたのであるが、古希を過ぎた今は、この記録で十分であり、走ることを楽しめたので満足だ。しかし、この後が、ちょっと残念であった。というのは、ゴール後のドリンクを貰うために並ばねばならず、さらに、預けた手荷物を受け渡してもらうのに、40分くらいの行列ができたのである。汗をかいた後に冷たい風にさ036_20241224205001 らされるのだった。小生は問題なかったが、多分風邪をひいたランナーが出てもおかしくない。更に、手荷物を受け取った後で、一旦外に出て、公民館にて着替えなくてはならない。ここでもまた冷たい風にさらされるのであった。今回は、5000名以上の参加者がいたのだから仕方がないが、改善してほしいものである。

 

 完走証は、WEBからダウンロードすることになっている。ほどよい達成感にひたりながら、着替えた後に帰路につくのであった。

2024年12月20日 (金)

展望的記憶

 タダノ教授は小生と同じく引退したのではあるが、時々いっぱい飲みながら話をするのだった。毎度のことながら、小学生時代・中学時代の思い出を二人で酒を飲みながら、話をするのだった。こんな風に昔話に花を咲かせるのが常なのだ。タダノ教授によると、これは、”回想的記憶”というものらしい。これに対して、今後の予定など将来に対する記憶を”展望的記憶”というのだ。と、教えてくれた。明日の会議予定や、デートの約束日時などを記憶するのである。年を取ると(取らなくとも)、手帳に記述する必要があることだ。

 

 この展望的記憶には、厄介なこともあるという。回想的記憶は、思い出せなくとも特に支障はない。認知症が進んだと判断されるかもしれない。そして、昔話ができないくらいだ。しかし、展望的記憶は、将来のことなどで、この記憶のトラブルは、大問題に発展することがある。会議の予定や、頼まれ事を忘れると、大変なことになる場合があるのだ。電車の中に、傘を忘れることや、仕事帰りに頼まれたショッピングを忘れるなどは、謝れば済む話なのかもしれない。この展望的記憶は、常にアクセスして、リフレッシュし消えないようにしなくちゃいけないようだ。行ってみれば、ダイナミックメモリーというわけだ。また、なにか別のことに気を取られると、展望的記憶は、すぐに忘れてしまうのでもある。ヒューマンエラーというわけだ。

 

 人間だから、間違いがあるのは仕方がないが、時々新聞紙上やニュースで騒がれる”車中の子供の置き去り”事故が報じられる。痛ましい事故なのだ。幼稚園・保育園の送迎バスの中に置き忘れたり、二人の子供を保育園に送りに行って、一人だけ置き去りにしてしまうような事故が無くならない。親は後悔してもしきれないのだ。子供に対して、愛情がないわけではないのである。なにか別のことに気を取られたり、思い込みで行動してしまうと、忘れてしまうのが、この展望的記憶なのだ。だからといって、子供を車中に置き去りにすることが許されるわけではないが、ヒューマンエラーなので、なくなるわけがない。

 

 では、どうすればいいのだろうか。一つは、ハードで対策をすることである。電車の中に傘を忘れないために、手首と傘を紐で結ぶ(他にもあるだろう)。子供の置き去りをなくすために、車の中にセンサーを付ける(すでに実施済み、またはその予定だ)。また、手順をしっかりと守る規則の設定する。(ダブルチェックなども有効かもしれない。)手順をルーチンにする。考えなくて済むようにすることだ。

 

 なんとか悲惨な事故をひとつでもなくしたいものである。

2024年12月15日 (日)

駅弁を食べながら、考えた。

  現役時代の交通移動手段は、飛行機が多かった。時間効率がいいし、マイレージを貯める事ができるからである。海外での出張は、飛行機以外にはあり得なかったのだ。隠居生活では、そんなに時間効率を考える必要はないので、ゆっくりと無理のない日程で、旅行することができる。久々に新幹線を利用したのである。せっかくなので、駅弁も楽しむことにした。

 

 新幹線は、車内販売を中止しているので、事前に、弁当と、お茶を買ってそれから、乗車だ。新大阪駅では、全国名物駅弁を売っているところがあり、同様に、東京にもまた、全国名物駅弁の専用売店がある。どちらも、混雑がひどい。外国人旅行者が増えているのが原因のようだ。しかし、現金で支払う必要がないのは嬉しい。スマホ決済で、購入できるだ。これは、外国人には便利なようである。

 

 新幹線に乗車して、東京へ向かう時は、京都を過ぎてから、そして、新大阪に向かう時は、新横浜を過ぎてから駅弁を楽しむのである。今回は、九州めぐり旅産弁当、おかめ弁当、幕の内、それになにわ御膳である。

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 そもそも駅弁はいつ頃どこで始まったのであろうか。記録によると明治時代に、宇都宮駅で”おにぎりとタクアン”を売ったのが最初だとされているが、諸説あるようだ。また、小生が学生の頃は、駅弁は立売がメインであった。列車の窓を開けて、オッチャンに弁当とお茶の料金を支払って、ゲットするのである。また、駅弁を売っているのは、急行列車の停まる駅がメインであった。窓があかない特急列車の場合は、停車駅が近づくと、出入りImg_2755 Img_2758 36f9fc4829bd4670a44aa553e61520eb A62e7102d254461b940e24152eae3a02 口付近でドアがあるのを待ち、すぐに立売のオッチャンが売っている弁当とお茶を買うのである。オッチャンもわかっているようで、すぐにお釣りを出せるように準備しているし、またドアの位置での停車を待ち構えているのである。

 

 駅弁を買って、自宅に持って帰った時が会った。列車の中で食って美味いのだから当然自宅で食っても美味いはずだ。と、思ったのである。しかし、これが、ちっともうまくない。列車の中で食ったのと同じものを買って帰ったのだが、なにか違うのだ。多分、ガッタンゴットンと、車内で揺れながら食うから美味しいのだと、勝手に結論付けたのだった。それ以来、デパートの駅弁大会などで、買う気が全くなくなった。(最も買うだけの小遣いもなかった?)

 

 今は、日本全国の駅弁を東京駅や新大阪駅で買うことができる。また、味も工夫されており、美味しいのだ。新幹線の車内で食うから美味しいのかもしれないが、品揃えも素晴らしい。ただ問題は、値段だ。コンビニ弁当と比べたら、かなり高い。1000円~4000円の幅がある。うなぎの蒲焼弁当や、マグロの大トロ弁当などもある。だから値段が高いのは仕方がないのかもしれない。

 

 小生が好んでいたのは、高崎駅のだるま弁当、黒磯駅の九尾の釜飯だ。横川の峠の釜飯は美味しいのだが、圧倒的に九尾の釜飯が美味い。このあたりの好き嫌いは、人によるのだろう。今はたまに、デパートの売り場や高速道路のサービスエリアで見つけるだけになってしまったのは、残念だ。

 

 立売駅弁などは、昭和の遺物と言われるのだろうが、残念だが、時代の流れでもある。 そして今ならば、自宅でゆっくりと駅弁を楽しむことができるかもしれない。

2024年12月10日 (火)

やっと秋、否、冬だ

  季節の変わり目がわからなくなってきている昨今の天候事情である。小生の住んでいる伊丹だけでなく、全国的に異常なのだから、仕方がない。11月になっても夏日が続いて、やっと涼しくなったと思ったら、すぐ冬の寒さがやってきたのだ。テレビでは、コメンテーターなど地球温暖化の影響だ、など、好き勝手なことを言っている。まあ、言うのが仕事だから、上っ面のことだけ言うには、誰にも迷惑がかからないからいいのかもしれない。そもそも地球温暖化の意味などわかってない人々がなんと多いことなのか。まあ、どうでもいいことなのかもしれない。ただ、短い春と、短い秋では、日本の四季は本当に寂しくなる。これは仕方がなのかもしれない。

 

 30年ほど前に米国のノースカロライナに住んでいたときのことだ。ここは間違いなく、今の日本の気候ににている。何しろ春は、1ヶ月もない。桜と、フジ、それに、ツツジをはじめとして、日本では、3ヶ月くらいかけてゆっくりと咲く順番を楽しめる花々が、ほぼ2週間で、咲くのだ。どれもが一遍で、満開になる。情緒も何も有ったことがない。真に、下品な咲き方をするのである。秋は秋で、一度に紅葉になるのだ。そして、すぐに冬だ。小生の感覚では、春は、2週間、そして秋は、同じように2週間だ。あとは、夏と冬である。

 

 最近の日本を見ると、季節の移り変わりは、春と秋のない夏と、冬になってしまった感覚だ。ちょっと寂しい限りである。毎度のように、ランニングのトレーニングをしていると、この伊丹でも、季節の感覚を感じるときがある。やっと、秋らしく紅葉を見ることができたと思った001_20241208200701 004_20241208200801 ら、もう冬なのだ。小生のランニングコースは、天神川堤防、伊丹緑道、そして、瑞ヶ池公園なのだが、先週から、ホーッとするくらい紅葉を見ることができる。ただし、秋が深まったようなきれいな紅葉ではない。緑と赤のグラーデーションの様な紅葉だ。これはこれで、乙なのかもしれない。今後は、この様な秋を、楽しむ訓練をしなくてはいけないようだ。

 

 すっかりと様変わりした伊丹の「イロハモミジ」を見ながらランニングして、こんな事を考えたのである。

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2024年12月 5日 (木)

八丈島の”キョン”

 「八丈島のキョン」と、聞いてすぐに理解できる人は、小生とほぼ同じ世代だと分かる。このキョンは、本来中国や台湾を生息域としていたのだが、千葉県勝浦市にかつてあった行川アイランドから、1980年代に逃げ出したのが、野生化したと言われている。環境省は、外来害獣としているのである。鹿よりは、一回り小さいようだが、鳴き声がひどいらしくほとんど騒音だと言う。更に、農作物に被害が出ているというのだ。行川アイランドは、2001年に閉園したという。大型テーマパーク(東京デズニーランドのこと)ができたためである。

 

 本年の5月には5万頭以上になり、本年4月、5月には、隣の茨城県にまで、被害が及んでいるようだ。害獣なのだから、退治して処分すればいいのだが、なかなか思うように進んでなく、千葉県は苦慮しているという。キョンを使ったジビエ料理にするアイディアがあるようだが、結構難しいようだ。まあどうなることやらだ。

 

 ところで、この「八丈島のキョン」だが、1970年代の後半に雑誌、少年チャンピオンに連載された「がきデカ」で主人公の「こまわり君」が醸し出すギャグなのだ。ギャグだから、全く意味がないし、ストーリーとも関係ないものであった。小生は、この少年チャンピオンを読んだ覚えはあるが、買った覚えがない。床屋の待合室においてあったり、やたらこの漫画に、のめっている友人から借りたりして読んだのである。全く筋のないその場限りのギャグ漫画なのだから肩がこらないのである。こまわり君の得意ポーズが「死刑!」であった。これまた意味のないストーリーと関係ないギャグなのである。

 

 ところで、八丈島には、キョンはいるのだろうか。または、いたのだろうか。今でも数匹が「キョン舎」で飼育されているようだが、おとなしい愛玩動物とのことである。これが野生化すると、農作物を食い荒らす害獣となるのだ。しかし、当時八丈島には、キョンはいなかったとのことである。キョンと思われたのは、野生のヤギではないかとのことだ。これが「がきデカ」のキョンとなったのではないかとのことだ。

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 NHKの首都圏ローカルニュースで、キョンの話題が出たときに思わず、この「八丈島の”キョン”」を思い出すのであった。

 

害獣キョンについて。キョンの生態と防除方法とは。 - 農業メディア│Think and Grow ricci (kaku-ichi.co.jp)

 

 

 

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