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2025年1月

2025年1月30日 (木)

鬼手仏心

  タダノ教授と毎度のことながら、一杯呑みながら、話していたのだった。小生も彼も、すでに古希を過ぎている身だ。すでに、子どもは独立して生活しているので、それぞれのんびりとなんの苦労もなく生活しているのである。タダノ教授は好きな研究に取り組み学生を相手にし、小生はゆっくりと、ウォーキングや、ジョギングを楽しんでいるのである。タダノ教授は、現役時代は、学生相手に結構厳しいことを要求していたみたいだ。一人前の研究所としての気構えができてない学生に、かなり理詰めにて、追い詰めるようなことで、対処していたらしい。今で言うところの、パワハラ、アカハラの少し手前までのことであったのだ。

 

 それにしてもややこしい時代になったもんである。小生や、タダノ教授は、指導教官から、強く叱責を受けて育った世代である。「なに、クソ!」精神で、学生時代を乗り越えたものである。子供に対して、親が厳しく指導するのは、当然だった世代た。そして、小学校や中学校の教師から、どつかれた世代でもあり、それが、当然だったのだ。(今なら、アカハラだ。)しかし、そんな中でも、どんなにどつかれたとしても、尊敬していた先生がいたのも事実である。親にしても先生にしても愛のムチという言葉が示すように、子供に対して、正しく育ってほしいために、行うものだというのだった。今ならDVであり”いじめ”でもある。

 

 仏教用語(性格には仏教用語の組み合わせ)に”鬼手仏心”(きしゅぶっしん)というのがある。鬼手とは、囲碁や将棋などで、相手の意表を突く手を指すことである。時には、鬼の手を意味することもまある。仏心とは、そのものズバリだ。仏の心、優しさを意味する。四文字熟語の”鬼手仏心”となると、ちょっと意味が違ってくる。この言葉は、病院の外科医が手術する時の心がけになっているのだ。患者の体をメスで、傷つけるが、それはあくまでも、病気を治すためなのだ。メスを持つ(鬼手)ことが残酷で大胆だが、それは、患者を治療しようとする心によるものなのだ。父や母が、子供を厳しく躾けるのは、これもまた鬼手仏心によるものであろう。

 

 この鬼手仏心の類語に”鬼面仏心”がある。タダノ教授と呑みながら話をしたのであるが、仏心は、慈悲の心であり、他人を慈しむことなのだが、昨今の風潮では、”鬼手”はよっぽど注意して、使用しないとすぐに訴訟に発展しそうだ。住みにくい世の中になったものである。タダノ教授と小生はガミガミ爺となるか、好々爺となるのかはわからない。認知症が現れて(?)から、他人がどっちなのか決めてくれるだろう。そんな情けない話で、呑んでいたのである。

2025年1月25日 (土)

勉強は基礎から?

 小学校以来、「勉強というのは基礎が大切だ。」と、ひっきりなしに親や、先生から言われたものである。それはタダノ教授も同じだ。小学校の低学年・中学年ならば、それは正しいかもしれないが、高学年になると、それでは解けないことが多い。タダノ教授も同じような経験を持っている。しかし、先生から「基礎から、そして基礎を大切にしろ!」と言われ続けており、疑問に思っていたのも事実である。特に算数の問題が解けないと、「基礎、基礎、基礎・・・・・・!」と、うるさいくらいに言われたものだった。『問題が解けないのは基礎がわかってないからだ。』、と、刷り込まれてしまったのである。

 

 小学校の高学年になると、算数では、文章題の解き方を習ったものである。まずは、鶴亀算、そして、旅人算、年齢算、通過算、過不足算、仕事算、和差算、仕事算、植木算、・・・・・・・・・・・。色々な問題があると、感心したと同時になんとか問題を解こうとしたものであった。初めてこれらの問題に向き合って、自力で解くことは、ほとんど無理であった。解き方を習って、問題を解くと、本当に簡単にとけるのであった。要するに、基礎ができているかどうかより、その問題の解き方を知っているかどうかなのだ。ただ解き方を知っているかどうかで、解答が出せるかどうかが決まるのであって、基礎を理解しているかどうかなど関係ない。

 

 今考えると、本当に無駄な努力だった気がする。なぜかというと、中学校で、方程式を習ったなら、あんなに悩んだ文章題が、簡単に解くことができるからだ。さらに、方程式を解く過程で、問題を鑑みると、その意味がわかってくるからなのだ。そうならば、小学校の高学年で、方程式を教えればいいのに、それをしない。なぜなんだろう。今考えると、小学校の先生は、方程式の教え方をしらないからではないかと、思うのだ。

 

 国語もまた似たようなものだ。基礎が大切だからといって、漢字の書き取りばかりやらされると、国語は嫌いになるだけだ。それよりも本を沢山読ませるほうが、どれだけ国語の実力を上げるかだ。漢字の大切さは十分に理解できるが、少々難しい本を読むほうが、よっぽど国語の力や、文章力がつく。英語も同じだ。単語のスペリングが基礎だから、文法が基礎だからといって、それらに力を注ぐよりは、英語の絵本や、ドラマ、そして映画を見るほうがどれだけ英語の習得に役立つのかは、言うまでもない。

 

 全てに言えるのだが、基礎は大切であるのは間違いない。しかし、それを必死になって固めるよりは、少し先を見て、振り向くような学習法が、よっぽど、役立つのだ。俯瞰的に物事を見ることで、学習ができ、判断力が養われる、と、思う。これは、タダノ教授の意見でもある。古希を過ぎて、ようやく学ぶことの面白さと大切さを理解し始めた小生とタダノ教授である。先生がいるわけではないから、これからは俯瞰的学習に力を入れるとしようかな。

2025年1月20日 (月)

雪中四友

 雪中四友(せっちゅうしゆう)という言葉を聞いたのは、タダノ教授と呑んでいたときのことである。この寒いときにそして雪にもめげずに咲く4つの植物のことを言うのだとある。博識のタダノ教授の面目躍如ということだ。本当によく物事を知っているのだと感心するだけだ。彼によると、雪中四友とは、中国で、昔から言われているらしいのだ。

 

  古くから画の題材として好んで描かれた4つの花梅(ウメ)、蝋梅(ロウバイ)、水仙(スイセン)、山茶花(サザンカ)のことである。
文字通り、雪の降る寒い中で花を咲かせるのである。日本人にとっても親しみがあり、どれも街中で散歩しながら楽しめる花々なのである。ちょうど今の季節に花を咲かせるというのだ。

 

 そこで、小生の住んでいる伊丹で、この時期に、この「雪中四友」を探してみることにした。20250118134102 と 、言っても、ランニングコースがちょうど、草花の咲く公園や堤防なので、ちょっとだけ注意を向ければいいだけのことだ。そこで、まず、フランチャイズである端ヶ池ルートをゆっくりと、周りを見ながら、走ったところ、「サザンカ」を簡単に見20250118135254 つけることができた。そして、隣の緑が丘公園に向かう。ここは以前は梅林で有名だったところだが、”梅の葉の病気”のために、今は殆ど処分されている。それでも、ロウバイが数本残っていた。ちょうど咲いていたのである。後は、スイセンと、ウメだ。これは少し難しかった。それでも気を取り直して、今度は、天神川堤防を走りながら、あたりを見回したのである。

 

 ランニングコースの堤防の法面に、スイセンが咲いているのを見出したのだ。後は、ウメ20250119133631 20250119133500 だけだ。しかし、この時期はまだウメのシーズではない。公園のウメは蕾すらまだない。そこで、庭木専門店へ向かうのだった。ここでも咲いていたウメはないのだが、蕾が大きくなっていたウメを見つけたのである。4種類、全部見つけたことになった。(ウメに花が咲いてなかったのは、少し残念!)

 

20250119141216  雪中四友を見出すには、もう少し時間がかかるようだ。しかし、この言葉はいい響きを持っている。画の題材として、好まれるのがわかった気がする。

2025年1月15日 (水)

ストループ効果

 毎度のことながら、タダノ教授とは、いっぱい呑みながらの懇談の時間が嬉しい限りだ。もっぱら、中学高校時代の話に花が咲くのであった。何しろ昭和の時代が懐かしい世代なのであるのだ。そんな時に今回は、色彩の話になった。小生は、カラーコーディネーターの資格を有しているので、色のことならば、タダノ教授には、負けない知識はあると思っていたのである。しかし、流石にタダノ教授だ。心理的な影響についてもまた、研究していたのだ。色と、文字の関連を調べていたのである。

 

この色と、文字をゴチャゴチャに示すと、脳が反応するのに、時間がかかるというのだ。例えば、下記のように、緑色で青の字を書く、黄色で、赤と書く、そして、赤色で黃と書き、青色で緑と書く。このようにされると、認識に時間がかかるのだ。下記に示す。

001_20240815132701

https://asu-yoku-laboratory.com/stroop-effect

 

次の様に一致すると、スムーズに認識できるのだ。

02_20240815132801

 

  この例のように、「文字の色の情報と文字の意味が持つ情報、それぞれ二つの持つ情報が矛盾している場合、答えを導き出すまでに時間が掛かってしまう現象」のことをストループ効果というのだと、タダノ教授が説明してくれた。

 

 さらに、信号機の「進めが緑」「注意が黃色」そして、「止まれが赤」であることが、ほとんどの人は、脳の中にしっかりと刷り込まれているのである。。当然といえば当然だ。何しろ小学校以来、信号機というのはそういうものであると、習ってきているし、それに従うべきであることもわかる。日本だけではなく、殆どの国で、この色分けがなされているようだ。この刷り込みのように、「色の情報」と「意味」が社会に広く行き渡っているものであればあるほど、矛盾する色と指示がある場合は、なおのこと、先入観などが邪魔をして情報処理に時間が掛かるのだ。

 

 このストループ効果の名前はアメリカの心理学者のジョン・ストループというオッサンが由来だと言う。これをビジネスに適用することができる。例えば、セール商品の広告では、ピックアップした商品を紹介する場面で、色と情報の相違による矛盾があるとストループ効果が起こるので、注意する必要がある。違和感を持たせない表現を用いるのだ。(例えば、高級マンションの広告に、やすいアパートが映らないようする。海水浴の海をきれいな明るい青にする。など)

 

 流石に、タダノ教授だ。惚れ惚れするくらいの博識である。今回もまた、感心してしまった。

2025年1月10日 (金)

カクテルパーティ効果

 タダノ教授とは、時々呑みながらの歓談をやるのが、最近の楽しみの一つであった。先日は、中学校の同窓会があり、久々の幼馴染の顔を見たものである。もちろんのこと、タダノ教授も参加したのである。20名くらいの参加だったが、最初は顔と名前が一致しないものの、話しているとすぐに誰だかわかり、気分は昔に戻り、中学校時代の出来事を話すのであった。立食のビュッフェスタイルだったから、気さくに誰とでも話すことができた。アルコールも入って打ち解けると、いくつかのグループに分かれて、それぞれ、よもや話に花を咲かせたのであった。

 

 当然のことなのだが、今、呑みながら懇談しているるグループ以外は、それぞれが何を話しているのかわからない。ただ不思議なことに、自分の名前を呼ばれると、ハーッとして、どのグループだろうと探すのであった。そして見つけると、そのグループに行って、また懇談を始めるのだった。ガヤガヤしているのだが、何故か名前を呼ばれるとふとその方向に振り向いてしまうのである。そのときは、あまり感じなかったのだが、後日、タダノ教授と懇談している時にこの事を取り上げて話題にしたのだ。

 

 タダノ教授によると、ガヤガヤした雑踏の中で合っても、自分の気になることに関しては、はっきりと認識できるという。これを、カクテルパーティ効果と言って、イギリスの心理学者コリン・チェリーによって約70年前に提唱されたのだと、教えてくれた。音声の選択的聴取、選択的注意とも呼ばれているらしい。たしかにカクテルパーティのような騒々しいときであっても、自分の名前を呼ばれるとすぐに反応してしまう経験は一度や二度じゃない。タダノ教授によると、これは、大脳の反応によるものなのだが、詳しことは、まだ不明な点が多いとのことだ。

 

 通常、五感を通じての反応の場合、大脳がすべてを処理することは、あまりに多すぎてできないと言う。街角を歩いていると、いろいろな音が聞こえてくるのだが、脳は、全てに反応しているわけではなく、関心のあること以外は、すべて雑音として、聞き流すだけだと言う。音以外に、視覚による情報などのすべての感覚に反応(処理)していたならば、脳の機能がもたない、つまり、情報過多で、パンクするのだと言う。そこで、防衛機能として、情報を脳が無意識のうちに選択するというのだ。

 

 カクテルパーティのようにガヤガヤしていたとしても、どこかで、自分の名前が呼ばれると、思わず振り向くというのである。なんとなくわかったようなわからないような気がする効果なのだ。

2025年1月 5日 (日)

ミルグラム効果

  タダノ教授と話していたときのことだ。彼の研究室の学生が、論文を提出した時に、”タダノ教授の研究室で学んだ。”と、いうと、学会でも皆が真剣に考察を加えてくれるという。それだけタダノ教授のもとで、学んだということは、権威があるということなのだ。タダノ教授は、ただ謙遜するだかりなのであるが、そんな彼だから、小生も長く付き合っているのである。何しろ、偉ぶることはなく、いつもどの学生に対しても公平な判断をしていたのである。ただ、学生としては、タダノ教授に認められたということで、有頂天になってしまうらしい。

 

 ミルグラム効果というのは、アメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムというオッチャンが唱えたものである。彼は、サクラ(芝居役のこと)をつかった実験(ミルグラムの実験)を行って、権威がある人の言うことを人は、簡単に信じるものであることを証明したのである。テレビなどで、専門家という人物が、話すことはあたかも正しい気がするのだ。それが権威というものだろう。学生にとって、タダノ教授こそが権威者であり、その権威者の評価というのは、絶対なのだろう。

 

 見かけが権威があるように見えると、その人が信用できる気がするのもこのミルグラム効果なのだ。警官のユニフォームをきていると、泥棒でも詐欺師でも、警官に見えるのだ。つまり、ユニフォームが権威なのである。更に、上場企業が、不正を働いて、社長を始めとして、幹部が頭を下げるテレビ映像には、事欠かない。会社という権威に対しては、従業員の倫理観すらなくなってしまうということなのか。

 

 現役時代を振り返ると、このミルグラム効果をさんざんと体験したものである。また、同僚がこの効果を受けているのを目の当たりにしたものでもある。流石に、現役を隠居すると、グーッと減るものだ。何しろ倫理に反する人たちとは付き合う必要がないからだ。

2025年1月 1日 (水)

新年の挨拶(2025年)

小生のブログへ訪れていただきありがとうございます。

 

 新年、あけまして、おめでとうございます。本年も、旧年同様に、ご愛読をお願い申し上げます。小生、古希を過ぎて、今年で、二年目となります。

 

 昨年は嬉しいことに、このブログのアクセス数が、10万を超えました。皆さんのご協力のおかげだと思ってます。ありがとうございました。 ブログを始めた時は、10万アクセスなど夢のまた夢でした。

 

 2012年には、会社生活を切り上げて、早期退職しましたが、それからは、本格的に更新を続けた次第です。その後、非常勤講師としての教員生活を10年続けました。それも昨年の3月で、終了し今は、ゆっくりと日々の生活を楽しんでおります。(別の言い方では、体にガタが来ているので、以前のような動きができないということですね!?)

 

 アクセス数が、10万に到達したのは昨年の7月でした。不思議なもので、それなりの達成感があるものでした。そして、自画自賛した次第です。(誰も褒めないから、自分で褒めるだけです。)

 

 当初は、市民マラソンの顛末記をブログの中心に据えたのですが、今は、タダノ教授との対話を通じて、現役時代の体験や、気づきをもとに、感じたことをアップしている次第です。

 

 それでも市民マラソンは続けているのですが、以前ほどは、体力が続かず、年に5km~10kmの大会に数回、エントリーするくらいの頻度になってしまいました。ただ、「参加する気力が残っているだけ、いいかな。」と、思うことにしてます。

 

 定年後に再開したギター演奏は、残念ながら、指が思うように動かなくなり、基礎練習から今年は、再度挑戦します。以前は問題なくトレモロができたのですが、今は、バランスが取れなくなってしまいました。学生時代は、問題なく弾きこなせた曲が、思うように指が動かないですね。今年は、どこまで、運指が戻るか、やるだけやってみるつもりです。年齢を強く感じてます。

 

 今年は、みなさまにとって、輝ける年であることを信じております。そして、ご健康とご健勝を願っております。 よろしくお願いします。

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