大学進学率(当世学生気質 第46弾)
小生は大学の教員をやめて、結構な月日が経っているので、その感想を述べたところで、誰も、もう影響を受けることはないだろう。タダノ教授は、まだ頑張って、大学教授を続けている。彼は、更に少なくともあと5年は、頑張るらしい。そんな彼もすでに正規の教授職は5年前に終えている。今は、アドバイザーの立場で、研究室に出入りしているのだ。直接の授業は、すでに終えており、研究室で、学部生や、院生のアドバイザーをやっているのだ。生涯現役というのが彼のモットーなのだ。研究と教育が彼は、天命だと思って生涯、取り組むつもりであるようだ。小生は、古希を過ぎたならば、また新たな生活に取り組むつもりであった。それでも、彼と盃を傾けながらの懇談(怒鳴り合い)は、楽しいので、やめられないのである。
小生の大学時代と、現在の大学生気質との違いがめちゃくちゃ大きいのを実体験したのは、大きな成果であった。小生たちは、昭和の遺物と言われればそれまでなのである。
小生たちが大学を受験するというのは、かなりの狭き門を通過しなければ合格しなかったのである。しかし、決してエリートではなかったが、学士様と尊敬(多分馬鹿に?)されていたのも事実であった。受験生の半数は、浪人であった。それでも、小生たちと同世代では、大学へ入学した(出来た)のは30%もいなかったのである。それが、現在では、とっくに50%を超えた人数が、大学生となっているのだ。大学数と、学部数が、格段と増えたのだから当然だ。ただここまで増えてくると、学生の質が大きく変わるのは仕方がない。「昭和の時代は、大学生は、希少価値だったな~!」と嘆いているわけではない。
小生は、大学の教員(正確には非常勤講師)を10年も勤めたたのである。理工学部であるが、学生の幾人かは、とても大学生の教育レベルには達していなかった。中学で習う数学の二次方程式が解けない学生がいるくらいなのだ。更に、レポートの誤字脱字、さらに文法がめちゃくちゃで、手書きのレポートは、読むのに骨が折れる。自分の名前すら、満足に書けない(正確には、読むのが難しい)学生が一人や二人ではないのだ。もちろん優秀な学生もいるのが、救いである。要するに優秀な学生とそうでない学生の格差が大きいというわけだ。
教員を退職する年に、ネットで、学生のための資料をチェックしている時、「トロウ理論」というのを知ったのだ。大学のような高等教育を研究したマーチン・トロウが提唱した理論だ。日本の大学進学率は現在50%を超え、トロウが言うユニバーサル・アクセス型の段階へ入っているという。昭和初期までの高等教育(つまり大学のこと)は、一部のエリートのためであった。
15%を超えると、エリートだけではない。大衆にも、門戸が開かれたのだ。小生とタダノ教授は、その世代であり同世代では、26%くらいの人々が大学生となったのである。当然、予備校通いの浪人が半数くらいの同級生となった世代なのだ。
進学率が50%を超えると、大学は勉強のできる人だけが一部の専門職やエリートを目指して学ぶ場ではなく、「社会に出るため」「周囲が皆行くから」といった理由で誰もが学びに来る場になったのである。世界レベルの研究成果をあげる大学から、高校までの学修内容を十分に理解しているとは言えない学生に基礎的な学習スキルを習得させる大学まで、極度に多様化ししているのだ。しかし、彼らには別の得意な一面もある。素晴らしい発想や、注意力を持って、自分の考えを述べる学生には、時々”ハーッ!”とする時もあったのだ。
学生の質が大きく変わるのを目の当たりにしてきたのである。それに伴って、大学の授業や研究の質が変わらなくてはならないが、それはどうやら難しいようだ。少しずつでも高等教育のあり方が変わっていかねばならない。そして、大学が、時代にあった教育機関となることを切に願うだけだ。
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