春日局生誕の地
春日局(かすがのつぼね)は小生の世代では、よく知られている女性だ。。なにしろ徳川3代将軍の家光の乳母であり、大奥の礎を築いた女性なのである。中高年に人気になったのは、NHKが1989年に放送した大河ドラマ『春日局』の影響だ。この放送で、一般の認知度が、一気に広まったのである。更にこの時の主人公役が大原麗子だったのも印象付けられたのであった。今でも、若い世代は、教科書に取り上げられたこともあり、認知度は結構高いようだ。
この春日局の出生地だと言われている場所がいくつかあるが、その中で、最も有力視されているのが、丹波国黒井(現在の兵庫県丹波市春日町黒井)説である。他に岐阜県揖斐川町、滋賀県大津市、京都府亀岡がある。
丹波国黒井であるが、ここには、明智光秀の重心である「斎藤利三(さいとうとしみつ)」が城主であった黒井城があり、春日局が出生し、産湯を使ったという『興禅寺』があるのだ。
その斎藤利三が父親であり、本名は『斎藤福』なのだ。福は、3歳まで、この地にいたという。JR福知山線の黒井駅には、『お福』の像がシンボルとしてあるのだ。春日局と名乗ったのは、53歳以降であった。
このあたりの地名である春日についても一説によると、この春日局が由来かもしれない、とのことだ。(注:これは真偽不明である。晩年に住んでいた文京区の春日だという説もある。)
黒井駅は、無人駅であり、単線の福知山線が離合する駅でもある。駅前のロータリーにこの『お福の像』が設置されていたのだ。光善寺までは、歩いてここから15分くらいだが、舗装はされているが山道を登ることになる。小生は、車で行ったのであるが、狭くて離合が難しい箇所がいくつかあった。それでも、なんとか興禅寺の駐車場に到着だ。
山門の脇に「春日の局出生地」の碑があった。そして、広い塀と、野面積みの石垣に掘りがあるところなど、城そのものの感であった。山
門をくぐると、手入れの行き届いた石庭が見える。本堂は、クローズされていたが、中には、釈迦如来場が安置されている。その脇を過ぎて奥の方へ行くと、春日局が浸かったという「産湯の井戸」がある。
観光客がいないこともあり、静かに石庭を見て楽しむことができた。そして、興禅寺を後にしたのだ。
最近のコメント