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歴史・旅行

2026年3月30日 (月)

世界三大悪妻

 ”世界三大・・・”と言われると、どうしてもヨーロッパの話となる。アメリカは歴史が少ないし、中国は異国であり、日本は問題視されないのだからどうすることもできないのだ。要するに仲間はずれである。世界史は、ヨーロッパ中心の出来事なので、仕方がない。世界三大悪女、つまり悪妻と言われると、あまりにも有名な次の3人だ。日本人には、馴染みがないが、噂で、聞いたことがあるかもしれないのだ。

 

・ソクラテスの妻であった『クサンチッペ』(発音しにくいね)

・モーツアルトの妻であった『コンスタツェ

・トルストイの妻であった『ソフィア』 である。

 

 日本の三大悪女というのは、有名だね。テレビや雑誌でも時々紹介されている次の妻たちだ。

 

日野富子:何しろ応仁の乱の原因を作ったのだ。

北条政子:尼将軍といわれた鎌倉時代の頼朝の妻だ。大河ドラマの主人公にもなったくらいだ。

淀君:秀吉の側室だ。あまりにも有名だ。

 

 親友のタダノ教授と飲みながら、話の肴として、悪女の話題が出たのだ。日本の三大悪女よりは、世界の悪女のほうが面白いと彼は言うのだ。実際にタダノ教授が悪女と言われている女性を調べると面白いことがわかったというのだ。

 

 まず、クサンチッペだが、悪女であるのは間違いないだろうが、ソクラテスにも罪がありそうだ。何しろ彼は、同性愛好者であり、ロリコンだったという。そりゃ、妻のクサンチッペにも同情したくなる。道端で、ソクラテスに水をぶっかけるような女性なのだったようだ。かなり気が強かったのだろう。夫婦仲は、そんなに悪くはなかったという記述もあるという。

 

 次は、コンスタツェだ。浪費家で、家事はせずに、娯楽に明け暮れたようだ。更に、モーツアルトの死後、自筆の楽譜を売ったり、葬儀や埋葬もずさんだったようだ。完全な我利我利亡者だ。そのため、モーツアルトの遺体は今も見つかってないようだ。しかし、モーツアルトも負けず劣らず、浮気が酷かったようだ。要するに結婚しても浮気グセが収まることがなかったようである。

 

 次にソフィアであるが、18歳で、38歳のトルストイと結婚して、13人の子どもを生んだのである。トルストイの女性遍歴は酷かったようだ。更に、トルストイには家出願望があったようだ。この家出を誘発し、死に至らしめたのが、ソフィアということで、悪女の銘板が付いたということだ。

 

 悪女というレッテルを貼られた彼女たちだが、それなりの理由があると、タダノ教授が教えてくれた。

2026年3月20日 (金)

「国産ビール発祥の地」の記念碑

 タダノ教授と居酒屋でビールを飲んでいるときに、話の流れで、国産ビールはいつ売り出されるようになったのだろうか、と、疑問が湧いたのである。調べてみると、日本で最初のビールを醸造したのが、江戸時代の川本幸民という兵庫県三田市(当時は三田藩)出身者だということだ。本格的に醸造されたのは明治になってからだという。商業ビールとしては、1869年横浜で、外国人のローゼンフェルトという人物が、醸造者を解説したというのだ。国産と言えるかどうかは、意見が分かれるところである。

 

 それでは、日本人による日本でのビール醸造所ができたのは、1871年に大阪だという。明治時代の大阪の実業家、渋谷(しぶたに)庄三郎(1821~1881年)が、日本人として初めて生産販売を始めたとされる。このビールは、外国人にはそれなりに売れたようだが、日本人には全く人気がなく、9年でクローズしたと言う。それでは、一体どこに醸造所を作ったのだろうか?と、言う疑問が湧いたので調べてみたら、大阪駅近くの北新地だというのだ。北新地は、東京で言えば、銀座と同じで、接待のための夜の街でもある。そんなところにあるのは、面白いと思い、早速行ってみたのだ。

 

001_20250716101401 002_20250716101501  JR北新地で下車して、堂島地下街(ドーチカ)を通り、堂島一丁目の交差点を御堂筋に向かって歩くこと5分の場所に、「国産ビール発祥の地」の記念碑がひっそりとあるのだった。せっかくなので写真に撮っておく。合わせて、説明板に「渋谷ビール」ロゴマークまで表示されていたのだ。

 

007_20250716101501 005_20250716101501  東京に対抗するための大阪の意地みたいなものが垣間見えるのだ。大阪市もこのような記念碑を造って、広く知らしめようとしているのかもしれない。実は、小生はいくどとなく北新地を通った(昼間です。夜の北新地は知りません)のだが、この記念碑を気に留めたことはなかった。知らなければ、通過する程度のものなのだ。

 

 ところで、渋谷ビールだが、9代目として、渋谷家の女性が、150年ぶりに復刻版を醸造したというのだ。当時のロゴマークをそのまま使用しているという。今度、試飲したいものである。

2025年5月25日 (日)

春日局生誕の地

 春日局(かすがのつぼね)は小生の世代では、よく知られている女性だ。。なにしろ徳川3代将軍の家光の乳母であり、大奥の礎を築いた女性なのである。中高年に人気になったのは、NHKが1989年に放送した大河ドラマ『春日局』の影響だ。この放送で、一般の認知度が、一気に広まったのである。更にこの時の主人公役が大原麗子だったのも印象付けられたのであった。今でも、若い世代は、教科書に取り上げられたこともあり、認知度は結構高いようだ。

 

 この春日局の出生地だと言われている場所がいくつかあるが、その中で、最も有力視されているのが、丹波国黒井(現在の兵庫県丹波市春日町黒井)説である。他に岐阜県揖斐川町、滋賀県大津市、京都府亀岡がある。

 

 丹波国黒井であるが、ここには、明智光秀の重心である「斎藤利三(さいとうとしみつ)」が城主であった黒井城があり、春日局が出生し、産湯を使ったという『興禅寺』があるのだ。113_20250503155401 111_20250503155501 114_20250503155601 その斎藤利三が父親であり、本名は『斎藤福』なのだ。福は、3歳まで、この地にいたという。JR福知山線の黒井駅には、『お福』の像がシンボルとしてあるのだ。春日局と名乗ったのは、53歳以降であった。

 

 このあたりの地名である春日についても一説によると、この春日局が由来かもしれない、とのことだ。(注:これは真偽不明である。晩年に住んでいた文京区の春日だという説もある。)

 

 黒井駅は、無人駅であり、単線の福知山線が離合する駅でもある。駅前のロータリーにこの『お福の像』が設置されていたのだ。光善寺までは、歩いてここから15分くらいだが、舗装はされているが山道を登ることになる。小生は、車で行ったのであるが、狭くて離合が難しい箇所がいくつかあった。それでも、なんとか興禅寺の駐車場に到着だ。

 

123 117_20250503155601 120 122_20250503155801  山門の脇に「春日の局出生地」の碑があった。そして、広い塀と、野面積みの石垣に掘りがあるところなど、城そのものの感であった。山118_20250503155701 119 門をくぐると、手入れの行き届いた石庭が見える。本堂は、クローズされていたが、中には、釈迦如来像が安置されている。その脇を過ぎて奥の方へ行くと、春日局が浸かったという「産湯の井戸」がある。

 

 観光客がいないこともあり、静かに石庭を見て楽しむことができた。そして、興禅寺を後にしたのだ。