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心と体

2025年4月20日 (日)

プライミングとアンカーリング

 どうも最近タダノ教授と居酒屋で飲んでいると、話題が、心理学それも行動心理学が中心となってしまう。最近、注目されている学問だからだろう。彼も小生も、工学部なのだが、一度は定年を迎えてその延長で、非常勤となって、大学に残っているのだ。しかし、それも完全な隠居までは後少しの身分なのである。どうしても人日の行動などに関心が移っていくのである。

 

 テレビのコマーシャルが人々の消費行動を大きく影響するのは、過去に話し合ったことがある。タダノ教授によると、外部の影響で、無意識に出てしまう行動をプライミングということを教えてくれた。例えば、『ゴホンといえば”龍角散”』や、『ファイト!一発』の”リポビタンD”など、名物キャッチコピーなど上げればキリがない。やはり人間というのは、外部の影響を受け無意識に行動するものである。これが「プライミング」だ。また、試験や、試合の時に壁紙に「必勝!」と書いた色紙を貼って、毎日眺めていると、いざという時に、思いもよらない力を発揮することがあるのも事実である。

 

 これと似たようなことで1200万円のベンツを見たあとで、800万円のレクサスを見ると、なんとなくレクサスが安い気がする。これは、プライミングではなく「アンカーリング」というのだと、タダノ教授が教えてくれた。これも自然な行動なのだろう。外部の影響で、無意識に出てしまう行動なのだ。人間の心理というのは面白いものだ。それが、行動に出てしまうのが、自然なんだろう。

 

 今後は、もっともっと、タダノ教授に、話を聞きたいものである。特に、人間の心理を分析した彼の知識の広さに、つくづく感心するのである。彼と小生の完全引退が、もうすぐだ。酒盃を傾けながら、彼の蘊蓄を効くのは、楽しいかぎりである。それにしてもタダノ教授は、いつこの行動心理学を勉強したのであろうか。優秀な親友であるが、謎の多い人物でもある。

2025年1月10日 (金)

カクテルパーティ効果

 タダノ教授とは、時々呑みながらの歓談をやるのが、最近の楽しみの一つであった。先日は、中学校の同窓会があり、久々の幼馴染の顔を見たものである。もちろんのこと、タダノ教授も参加したのである。20名くらいの参加だったが、最初は顔と名前が一致しないものの、話しているとすぐに誰だかわかり、気分は昔に戻り、中学校時代の出来事を話すのであった。立食のビュッフェスタイルだったから、気さくに誰とでも話すことができた。アルコールも入って打ち解けると、いくつかのグループに分かれて、それぞれ、よもや話に花を咲かせたのであった。

 

 当然のことなのだが、今、呑みながら懇談しているるグループ以外は、それぞれが何を話しているのかわからない。ただ不思議なことに、自分の名前を呼ばれると、ハーッとして、どのグループだろうと探すのであった。そして見つけると、そのグループに行って、また懇談を始めるのだった。ガヤガヤしているのだが、何故か名前を呼ばれるとふとその方向に振り向いてしまうのである。そのときは、あまり感じなかったのだが、後日、タダノ教授と懇談している時にこの事を取り上げて話題にしたのだ。

 

 タダノ教授によると、ガヤガヤした雑踏の中で合っても、自分の気になることに関しては、はっきりと認識できるという。これを、カクテルパーティ効果と言って、イギリスの心理学者コリン・チェリーによって約70年前に提唱されたのだと、教えてくれた。音声の選択的聴取、選択的注意とも呼ばれているらしい。たしかにカクテルパーティのような騒々しいときであっても、自分の名前を呼ばれるとすぐに反応してしまう経験は一度や二度じゃない。タダノ教授によると、これは、大脳の反応によるものなのだが、詳しことは、まだ不明な点が多いとのことだ。

 

 通常、五感を通じての反応の場合、大脳がすべてを処理することは、あまりに多すぎてできないと言う。街角を歩いていると、いろいろな音が聞こえてくるのだが、脳は、全てに反応しているわけではなく、関心のあること以外は、すべて雑音として、聞き流すだけだと言う。音以外に、視覚による情報などのすべての感覚に反応(処理)していたならば、脳の機能がもたない、つまり、情報過多で、パンクするのだと言う。そこで、防衛機能として、情報を脳が無意識のうちに選択するというのだ。

 

 カクテルパーティのようにガヤガヤしていたとしても、どこかで、自分の名前が呼ばれると、思わず振り向くというのである。なんとなくわかったようなわからないような気がする効果なのだ。

2024年10月 5日 (土)

モナリザ症候群

  食べてないのに痩せない。運動しても痩せない。こんな悩みをよく聞くのである。小生は、そのように宣う人々を、結局根性がないから、どこかで食べているだろうし、また本人が運動していたとしても全く足りないのだと思っていた。ところが、親友のタダノ教授と話していたときのことである。実は、根性の問題では、なさそうな気がしてきた。彼の博識にはいつも感心するのであった。このようにダイエットしても運動しても、なかなか痩せない人がいるのは事実であって、「モナリザ症候群」と名付けられているのだ。

 

 このモナリザ症候群は、フランスのルーブル美術館にある「モナリザ」とは、全く関係ないとタダノ教授が教えてくれた。それでは「どんな意味なのか?」と、訊いてみたら

MostObesitykNownAreLowInSympatheticActivityの頭文字を取って付けた造語というのだ。訳すと「肥満者の大多数は交感神経の働きが衰えている」という意味になると教えてくれた。また合わせて、日本人の肥満者の7割がこのモナリザ症候群に当てはまっていると言われていいるらしい。

 

 交感神経と、副交感神経の役割位は、中学校で保険の時間に習った気がする。車で言うところのアクセルとブレーキの関係という。要するに、自律神経なのであり、自分の意志でコントロールできるものではないということだ。この自律神経が乱れると、「モナリザ症候群」になり、ダイエットやろうが、運動しようが痩せる効果が、薄れるというのである。自律神経のみだれが発生するのは、

 

①運動不足

②栄養バランスの偏った食事

③夜型行動(睡眠不足)

④生活のリズムのみだれ(スマホの見過ぎ)などだ。

 

 これらに注意すればいいというのである。よくよく照らし合わせると、これは、まさに生活習慣病を予防することなのと同じだ。この「モナリザ」の言葉の由来を調べると、1990年に神戸で開催された国際肥満学会で発表されたというのである。それにしても、よくこんな名前をつけたものだと感心するし、肥満の7割がこのモナリザだというのも驚きである。そして、さすがタダノ教授だ。こんなことまで知っていたのだから。

 

 基礎代謝が落ちてきて、BMIが中心から外れてきた小生は、差し詰め予備軍というところである。隠居してもリズムのある生活を心がける必要があるということだ。

2024年4月20日 (土)

利用可能性のヒューリスティック(availability heuristic)

 今は、引退した身であるタダノ教授は、専攻が理工学ではあったものの、行動経済学や、認知心理学に対しても造詣が深い。彼から言わせると、「学生を指導するときに、役に立つ学問である。」というのだ。大学の教授となると、自分の研究だけでなく、学生の指導も大切なポイントとなっているのである。現在は、すでに学生の指導は、アドバイス程度であるが、その時にもこれらの学問の知識が役立つというのだ。

 

 ヒューリスティック(heuristic)とは、「発見的手法」という意味の心理学用語である。経験や先入観で直感的に答えを得る手法というのだ。言ってみれば、経験則・直感判断則ということである。タダノ教授によると、この経験則が正しいとは限らないというのだ。しかし、人間の行動が、過去の経験に、制約を受けるのは小生でもよく分かる。自分が直面している状況に関係して思い出しやすいことがらがあるときは、我々は、その思い出しやすい情報に一方的に頼った判断をしてしまいがちなのである。この心理メカニズムは、「利用可能性のヒューリスティック(availability heuristic)と呼ばれていることを教えてくれた。

 

 難しい言い回しなので、小生にはよくわからないというと、タダノ教授は、いくつかの例を上げて説明してくれたのである。

 

 例えば、飛行機事故の直後は、飛行機に乗るのをやめて電車やバスを利用する人が増えたり、狂牛病が発生した直後は、病気とは全く関係のない部位を含めて、牛肉そのものを食べるのを控えてしまう人が増えたりするのだ。

 

 飛行機が事故を起こす頻度は、世界中で1年にごく僅かの回数である。電車や、バスの事故などは世界中では数え切れないほどのあるのが事実である。事故に遭うリスクは電車やバスの方がよほど高いのに、そんな事実には注意が向きにくい。なぜなら、航空機事故は、発生すると大規模な事故となり、その悲惨さが際だつ。滅多に起こらないからこそ、事故の印象は強いインパクトもって我々の記憶に残りやすい。そして、じゃんじゃんメディアでその事故を報道する。その結果、当分の間は、我々は生活の様々な局面で事故のことを思い出しやすい状態になってしまう。

 

 1985年8月12日に発生した「日航ジャンボ機墜落事故」(JAL123便)は死者520人生存者4人と言う飛散のものだった。小生は、その翌々日に同じ便に乗る予定だったが、親、兄弟に「飛行機を乗るのをやめろ!」と、さんざん言われたのである。しかし、結局は搭乗したのである。機内は、ガラガラだった。キャンセルが多く発生したようだ。さらに、多くの企業では、この事故後の出張が、飛行機を取りやめて新幹線にしたのであった。論理的そして合理的に考えたら、このような処置はおかしいのだが、我々の記憶に強く残り、思い出しやすい状態ができあがってしまうと、行動に反映されてしまうのである。しかし、記憶が薄れてくると、いつの間にか出張は飛行機になってしまう。たしかに、「「利用可能性のヒューリスティック」は人間の行動に影響を与えるものであることがわかるのだった。

 

 一方、これは、ビジネスにも利用されているという。記憶に残っていれば、つまり思い出させる工夫をすれば、その商品が売れるという。スーパーマーケットで商品を選ぶときに、何気なくテレビやラジオで流れていたCMを思い出し、ついその商品を買ってしまう経験がある。その商品の善し悪しよりも、記憶にあるかどうかが判断基準になりやすいという事だ。

 

 人間に、公平な判断をもとめるのは難しいものである。まだまだ修行が足りないのを認識した次第だ。

2024年1月25日 (木)

老いに負けるな

 以前、老いについて、小生の考えを述べたことがあった。老醜をさらさずに、かっこよく老後を生きようという心掛けについてだ。その時に心に残ったのが、「スタイリッシュエージング」である。これは、レーガン大統領の一頭書記官を務めたリズ・カーペンターの言葉である。

スタイリッシュ・エイジング: 色メガネ風来記録 (air-nifty.com)

 普段から、格好良く生きたいと願っていた小生には、ピッタリと当てはまる言葉であった(と思われる。)この”スタイリッシュ・エージング”については、あらためて述べることはないが、次の3つの心掛けである。

 

・誘われたら断るな。

・じゃんじゃん酒を注いでもてなせ。

・何をおいても恋をしろ。

 

 このリズカーペンターのスタイリッシュエージングに惚れ込んで、96歳でなくなった評論家の「外山滋比古」がいる。著書も多いので、多くの人に親しまれた方であり、もちろん親友のタダノ教授は、彼の著書をたっぷりと読んでいたのだ。そのタダノ教授に進められて、”「長生きに」負けない生き方”を読んでみた。外山滋比古のウィットの効いたエッセイというのであり、なかなか興味深い内容であった。そして、最も感銘を受けた言葉の一つが次の俳句であるというのだ。

 

    浜までは海女も蓑着る時雨かな

 

 江戸時代の中期の俳人である「瀧瓢水(たきのひょうすい)」の句である。この瀧瓢水は兵庫県加古川の大きな廻船問屋「叶屋」の跡取り息子だったが、放蕩三昧を行い、一代で家産を潰したというのだ。この句ができた逸話があるが、それはややこしいので割愛する。それよりもこの意図することのほうが遥かに面白い。何しろ、海女は海に潜るのが商売だ。その浜までの少しの道のりであっても、時雨(にわか雨)のときは、箕をきるという。海に潜るダイバーが、雨の日に傘をさして、浜まで行くことを想像すると面白い。

 

 「どうせ濡れるのだから、わざわざ箕(かさ)など、必要ない」と、いうだろうかもしれないが、せめて、その浜までは、自分の体を濡れないように(風邪を引かないように)大切にしたい。つまり、『今、ここを精一杯生きる人生』が、大切なのだという教えなのである。「どうせ、〇〇だから・・・」という生き方は、いたって無責任で投げやりな生き方だ。自分に不都合なことが起きると、すぐにあれやこれやと理屈をつけて言い訳をし、そうして自らの努力を放棄するという生き方である。ここからは、決して前向きな生き方が生まれるわけがない。

 

 

 リズ・カーペンターの老い方も、瀧瓢水の生き方も、根っこのところは同じであろう。とにかく今を精一杯生き抜くというのが、スタイリッシュでは目指さなくちゃいけないわけだ。それが、老いに負けない生き方なのかもしれない。やはり修行が大切なのかな。

2021年6月 9日 (水)

眼瞼下垂症手術 (記録 6/9)

 6月9日

  結局、4時半頃まで、ウツロウツロだったが、5時には、目覚めることにして、ラジオを又聞き始めた。

  入院病棟は、6時に部屋の明かりをつけて、起床となる。目に保冷剤を当てているので、点灯であれ、消灯であれ、あまり違いはない。廊下で物音がしだすので、活動開始となったのがわかるのだ。看護師が、血圧と、体温の測定にやってくる。特に問題はない。朝食は、8時からだ。それまで、やることがない。看護師が、朝飯のトレーをもってきた。パンとサラダと、牛乳であった。軽い朝飯というわけだ。贅沢は言えないし、そもそも病院食なので、美味くもなく、不味くもない。10分もあれば、食い終えた。

  その後、看護師がトレーを片付けて、すぐに、小生の担当医(執刀医)が2人ほど引き連れて  きた。手術後のチェックだ。手術跡を入念にチェックし、大きな問題がないことを確認してくれた。経過は順調であるという。そして、本日予定通り、退院できるという判断であった。9時頃、看護師が、処方された薬を持ってきた。そしてすぐに、事務員が退院手続きの書類を持っTきた。これで、退院できる。着替えて、パッキングして、病室からサヨナラをする。特に挨拶する人もない。そもそも同室の他の3人の名前すら意識してないし、顔を見たこともないのだ。1泊2日なので、こんなもんだろうと思う。

 最後に会計処理をして、駐輪場に向かい、病院をあとにした。1週間後に、外来で受診して、問題なければ、手術後の抜糸をして終了だ。

 

 6月15日

 退院して、一週間後に、今度は外来で、手術後の様子を担当医にチェックしてもらう。特に大きな問題はないという。しかし、この一週だが、手術した瞼のあとが、気になって仕方がない。何しろ突っ張った感じがするだけでなく、相変わらずの伊丹が残っている。手術直後の伊丹ほどではないが、まだ炎症が続いているようだ。担当医は、大きな問題はないということで、抜糸に取り掛かった。これがまた、痛い。麻酔などするわけではなく片側の瞼に4~5箇所の抜歯をするのだ。順に抜いていくのだが、時々その痛さで、飛び上がってしまうようだ。それでも担当医は、問題ないという。ただ、まだ腫れが残っているので、しばらく様子を見るというのだ。また、3週間後にチェックを受ける予約をとった。完治するには、やはり時間がかかるようだ。

2021年6月 8日 (火)

眼瞼下垂症手術 (記録 6/8)

  6月8日(火)

 手術の日である。そのための、一泊二日の入院だ。まずは、予約票に記載されている時刻(10時15分)までに、伊丹市民病院へ向かう。のである。家から10分なのだから、自転車が都合いい。実は、自転車で行くことは、勧められていなかったが、1泊するのだから、多分問題なく自転車で帰宅することができるだろうと思ったのである。乗ることすら出来なかったら、自転車を押していけばいいのである。と、気楽に考えた。駐輪場に駐めて、入院受付に向かう。順番待ちの受付券を発券機から受け取る。しばらくすると、小生の番号が呼ばれたので、受付に行く。そこで、保険証、診察券、手術同意書、兵庫県発行の高額医療限度額認定証を提出する。また、お薬手帳と、普段飲んでいる高血圧とコレステロールの薬を翌日分渡しておく。明日看護師が病室にもってくるのである。

 一通り、事務処理が終わると、受付のネーちゃんは、俺を入院病室のある西病棟4階へ連れて行ってくれた。そこで、担当の看護師に引き渡された。テレビで見たところの囚人を収監して、4人部屋の雑居房に案内されるようなものだ。差額ベッド代がかからないように、4人部屋にしたのである。一泊ぐらいなので、我慢できるだろうと思ったのである。(しかし、これが間違いであったことは、後でわかった。)早速担当看護師のネーちゃんからの問診だ。今までの病歴や入院の経験、そして手術の経験などを訊かれたが、素直に答えればいいのであるから、難しくない。

  問診の後で、看護師が手術着をもってきてくれたので、それに着替えておく。昼飯は、12時からなので、1時間位病室のベッドに横になって待っていればいい。病室のベッドの脇にあるテレビは、専用のテレビカードを購入しなくてはならない。看護師が、券売機まで一緒についてくれるというが、丁重に断った。何しろ、目の手術なのだから、テレビなど楽しむことは出来ないのである。感がしは機械的に申し出てくれたのだろうが、なんの手術のために、入院するのかをわかっていれば、そんな申し出はしないだろうに。

  この間に、スマートフォンのradikoアプリをセットして、イヤフォンで聞けるようにした。イアフォンは、ブルートゥースの骨伝導型なのでケーブルがじゃまになることはない。そして耳をふさぐわけではないので、外の音は全部聞くことができるので、便利である。呼び出されてもすぐに返答できるのが、このイアフォンである。難点は、2万円近くの価格であることだ。普段は、ランニングのときに使用しているイアフォンだが、こんなときには、便利だ。

  12時になると、昼飯である。トレーに入れられてきた。小生は、普通食である。食事制限はないのだが、病院の食事は、美味しいとは言い難い。まして、これから手術が待っていると思うと、味気ないものであった。メニューを思い出せと言われても思い出せないくらいのものだった。看護師が、1時半から手術だと告げてくれたので、それまでは、radikoを楽しみながら、連絡を待つ。1時40分頃に、看護師から連絡があり、手術の準備が整ったという。

 早速車椅子に乗せられて、手術室に向かう。自分で歩いて、手術室に向かうことはできるのだが、車椅子を利用することが、ルールになっているという。手術室は2Fだ。その後、入り口で、手術担当者に渡された。(まるで、宅配の荷物みたいな扱いである。)担当者に、手術室の稼働率を聞いてみた。すると、8つの室があり、ほぼフル稼働だとのことだ。それだけ病人が多いということかな。

  小生の入った手術室は、そんなに大きくない。真ん中に手術台があり、その上には、照明だ。テレビでよく見なれたものであった。執刀医と助手に研修医と補助の看護師とで合計8名の担当スタッフがいた。全員女性である。手術着は、上下とも濃いブラウンのユニフォームであった。車椅子で、入場するわけなのだが、8人の女声スタッフが一斉に挨拶するわけなのだが、チョット異様な感じがした。すぐに、手術台へのせられたのである。(自分でのったのだが)思ったより手術台というのは狭いものであった。執刀医は、ブラウンのユニフォームのままでどうやら手術を行うようである。ヘアキャップだけはかぶっていたのだが、”ドクターX”が手術中にやっているようなエプロンはしてない。そんなにややこしい手術ではないからなのだろうと、勝手に解釈した。眼瞼下垂症の手術は、部分麻酔ということなので、まずは、目だけを出して、全て、布で覆われた。

  そして、手術前の確認だ。執刀医が、患者名(俺の名前)と手術名(眼瞼下垂症治療手術)、それと手術時間(約2時間であった)を口頭で言う。担当スタ風が皆うなずいて、応答するのだ。両目の周りに麻酔を打たれるんだが、これが結構チクチクしていたい。幾度となく、声が出てしまう。その都度、執刀医は、”もう少しだから我慢して”との返答である。手術中にも麻酔が切れて、幾度となく追加してもらうはめになり、その都度痛い思いをするのだった。

  局所麻酔であるから、手術室の話は全部聞こえる。指導医が、研修医に対して、指示を出しているのが、よく分かる。それだけでなく、笑い声も聞こえるのだ。「もう少し真面目にやれ!」と、言いたいときもあった。時々目を開けさせられると、3人から、5人の顔が見える。というより、覗き込まれているというのが正しい表現だ。手術用の照明に合わせて、5人の顔を見るのは、まさに『マンガ』だ。最後に、ガーゼを両目に当てて、絆創膏で留めて、手術は終了だ。幸いなことに大きな問題はなかった。

  手術台を降りて、車椅子に乗る。来た時と逆に、今度は、手術室を出て、担当の看護師に引き継がれた。時刻を聞くと、3時半とのことだ。2時間の予定が1時間半で終了したことになる。病室に戻るわけだが、目にガーゼを当てているので、前が見えない。看護師に車椅子を押してもらって、たどり着くしかないようだ。ガーゼを当てているが、目の下側は、開放されている。つまり、たった姿勢であれば、足元が見えることになるのだ。不自由であることには変わりないが、それでも病室から一人でと洗面所に行くことはできそうである。一旦病室に到着して、看護師から色々と、これからのこと(今晩のこと)について、注意を受ける。まずは、手術後の洗面所へは、看護師が付添はなければ、ならない規則だとのことだ。洗面所へは用がないが、まずは、付き添ってもらい、廊下で待ってもらうことにした。それから、手術着を脱いでパジャマ(といってもT-シャツ、短パン)に着替えた。

  夕飯は、6時からというので、それまで時間をつぶすのであるが、ベッドに横になって休むことにした。看護師が、目の湿布剤である”メオアイス”(病室に連れて行かれたときに看護師に渡した冷却・保冷剤)をもってきたので、ガーゼの上から目に当てて、しばらくじっとしていることになる。目が見えないから、仕方がないのだ。正確には、下目つかい(こんな言葉があるかどうかわからないが?)”ならばなんとか見ることができる。ゴルフのティーショットの時にゴルフボールを見る目つきだと思うとわかりやすい。

  ベッドに横になり、スマートフォン準備する。全国のラジを番組を聞くことができるアプリのradikoが、退屈しのぎにはもってこいである。ケーブルが無いので、寝ながら、自由に顔の向きを変えられるのも嬉しい。6時になると、看護師が、夕飯をトレーに入れてもってきた。栄養士が考えたメニューなのだろう、それなりの味であった。しかし、味気ないのは変わりがない。病院食が美味いという輩には、めったに会うことがないのだが、この病院の食事がまずいわけではない。サラダや、惣菜にご飯が計算されたように出されているのだ。そんなに食欲があるわけでないから、丁度いいのかもしれない。15分もあれば、食事は終わる。7時ころ看護師がトレーを片付けに来た。そして手術後の炎症止めのための飲み薬を持ってきた。漢方薬であった。これも又、あまり美味くない薬だった。当然の味かもしれない。ついでにメオアイスの保冷剤を交換してもらう。2時間も経つと、常温に戻ってしまうのだから仕方がない。あとは、消灯が10時なので、それまでもそれからも、ラジオを聞きながら、ベッドに横になるしかないのだ。ただし、10時をすぎると、廊下から聞こえてくる話し声がなくなるのは嬉しい。

  10時には、ラジオのイアフォンを外して、ゆったりと寝入る準備だ。消灯になれば、静になると思うのは大間違いである。大衆部屋(4人部屋)なのである程度は覚悟していたのだが、同室の奴らのいびきや物音が大きくて、寝られたもんでない。横になって、疲れを取る程度のことしか出来ないのだ。1泊だけなので、我慢ができる範囲である。それにしても、うるさいいびきであった。ほとんど一睡もできなかったのは仕方がないことだ。それがやならば、個室にすればいいのだが、一番安い病室ですら差額に8800円支払わなければならない。上等な部屋だと17600円の差額なのだ。小生のような庶民は、大衆部屋で十分である。何事もガマン・ガマンが大切なのだ。

2021年6月 7日 (月)

眼瞼下垂症手術 (記録 6/7)

 4月27日

 年は取りたくないものである。明るい所を見ていると、時々、糸くずみたいなものが見えるのだ。眼科でチェックしてもらったら、「飛蚊症」と言われた。実際の生活では、特に大きな不自由はないのだが、どころなく気持ちが悪い。眼科医によると、まれに、トラブルで飛蚊症が現れることがあるらしく、眼球のチェックをしてもらったところ、問題なしとのことだ。加齢からきているのだから、慣れればいいとのことである。齢は取りたくないものである。

 せっかく眼科に来たのだから、ついでに、最近朝起きても、瞼が開きにくいという話をした。すると、この症状もまた、加齢が大きな要因であるという。気になるならば、手術で治すしかないというのだ。それならば、ということで、早速、伊丹市民病院の紹介状を書いてもらったのである。この手術は、眼科か、または、形成外科で実施されているという。どうやら2つの科のオーバーラップ領域の手術というのである。眼科での手術では、予約がかなり先まで入っているが、形成外科ならば、比較的早く手術ができるというので、形成外科を希望したのである。10日後の5月12日の予約が取れたということだ。

 

  5月12日

眼科医の紹介状をもって、市民病院へ行く。形成外科で再度目をチェックしてもらった。「両側眼瞼下垂症」という病名をもらった。早い話が、瞼の筋肉が弱くなって、目の開きが悪くなったということだ。加齢からである。手術が一番手っ取り早いし、それしかないとも言われた。また、手術する場所が、瞼なので、手術して見てくれが変わるのが嫌ならば、そんなに深く切り取ることはしないと言われた。しかし、小生は見てくれなど問題ではない。とにかく世の中をしっかりと見ることができるのを優先してほしいと回答しておく。かなり深く切込みを入れることを了解した。その後、手術の段取りと、注意点、の説明があった。そして入院のための検査を行う。血液検査と、心電図検査、それから、胸部X線検査だ。問題ないことが確認できた。

 その後、入院手術のためのペーパーワークである。6月7日に手術そして入院の予約をすることになる。受付にある手術予約カウンターで、担当者に説明を受けた。さらに、予約票・同意書などの書類一式を渡された。当日に入院準備と一緒に仕上げた書類を持ってくることになる。

2018年10月15日 (月)

シャーデンフロイデ

 タダノ教授と一杯やりながら、なぜ、「他人の不幸は蜜の味」なのか、と、言うことを飲みながら話していたときだった。相変わらず、彼との盃を交わしながらの話題は、哲学的になってしまうのである。以前このことについて持論を展開したことがあったのだ。タダノ教授は、小生のブログを読んでいたのである。

 

http://dogwood.air-nifty.com/tokudaimajin/2017/06/post-6c27.html

 

 

 

 タダノ教授は、小生のブログの中では、時々登場するのだが、彼が話題になることをどちらかというと、喜んでいるように見受けた。こんかい「シャーデンフロイデ」(Schadenfrudeという言葉を、タダノ教授が紹介してくれた。日本語の響きはどことなく美しさを漂わせているものの、実は、ドイツ語なのである。それもかなり毒のあるドイツ語なのだ。日本語に訳すと、「他人の不幸を喜ぶ気持ち」ということだ。まさに「蜜の味」であり、「メシウマ」(他人の不幸で今日も飯がうまい)なのである。英語には当てはまる言葉がないので、このドイツ語をそのまま使ようだ。

 

 

 

 ただし、「他人を不幸へ引きずり下ろし快感を得る」ことではない。また、自然災害で、被害を被るのもこの範疇には入らない。精神的に他人を引きずり下ろした時の快感というわけだ。(日本語には、「バチが当たる」という表現がある。)ともかく、三流芸能誌の記事などそのさいたるものだろう。そして成功者のちょっとした失敗をネットで糾弾して喜びに浸る感情である。ネットバッシングなど典型的だ。

 

 

 

 復讐心と嫉妬心がこのシャーデンフロイデを生み出すのである。

 

・自分より成績のいいやつが、受験で不合格になり、落ち込んでいる友達を見て「よっしゃ」と思う

 

→〔復讐心〕いつも良い点数を取って僕をバカにしていた友達が元々気に食わなかった

 

→〔結果〕だから、不合格人なって「よっしゃ」と思った

 

 

 

・結構仕事のできた同僚が、転職に失敗して「ざまあみろ」と思う

 

→〔嫉妬心〕いつも仕事で自分より良い成績を取っていて気に入らなかった

 

→〔結果〕その人が転職に失敗して「少しは苦労しろ」と思う事が出来て安心した

 

 

 

・ふだん派手な芸能人がスキャンダルで涙の記者会見をしていた

 

→〔嫉妬心〕自分より遥かに金持ちで人気のあった芸能人に腹が立っていた

 

→〔結果〕スキャンダル発覚で人気が地に落ちた感じがして、心地良かった

 

参考:https://gakukannsetu-utu.com/about-schadenfreude/

 

 

 

 これらの感情は、人間が本来持っているホルモンである「オキシトシン」の影響だそうだ。このオキシトシンは、”愛と絆のホルモン”とか、”幸福ホルモン”と呼ばれているのだ。人間が集団で生活していく上で、仲間意識を強く保つ必要があり、そこから、はみ出てくる人を排除するする機能が”嫉妬”であり、”復讐”だそうだ。そうやって集団を維持していくのである。芸術の分野で扱われている”人間性”などという訳のわからない言葉の裏腹なのかもしれない。

 

 

 

 タダノ教授は、生物学と、このシャーデンフロイデの関係についても深い見識を持っているように見受けた。いったい、いつ勉強したのだろうか。彼の博識にはただ感心するばかりだ。

 

 

 

 シャーデンフロイデを邪念として捉え、「般若心経」と「修行」で、悟りを開くのが、解決法だと思っていた小生にとって、タダノ教授の見識は、新しい、発見であった。

 

 

2017年10月10日 (火)

イップス

 中学校へ入学してすぐのときである。中間テストというのがあり、点数で、成績が決まるのを知ったのだ。5月末から、6月はじめにかけて、主要教科がまとめて試験をやり、そのスケジュールが発表になったのであった。授業中に、試験が行われるのでなく、試験だけの日が連続してあるので、新鮮な気持ちになったものである。(試験と名のつくものは、どんなものであっても、今でさえ好きになれないのが、本音であることに変わりはない。)

 

 当時の担任が中間テストでの心得を教えていた時に、その担任が以前に受け持っていた生徒の一人が、試験中に、「何も印刷されてない白紙のテストは受けられません。」と、申し出たと言う。実際はしっかりと、テスト問題が、印刷されていたのである。担任は、その状況を十分に理解していたらしく静かに、そのテスト用紙を受け取り、生徒を帰宅させたのだった。その生徒は、感受性が豊かで、責任感が強い、真面目に授業を受けていたのであった。担任が言うには、「緊張のあまり、テスト用紙が、白紙に見えたのだろう」ということだ。

 

 最近、イップス(英語でYips!わお!とかきゃあ!などの感嘆詞でドジッた時に発する言葉)というメンタルな障害のことを聞いて、当時を思い出したのである。 精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる運動障害のことである。本来はゴルフの分野で用いられ始めた言葉だが、現在ではスポーツ全般で使われるようになっている。

 

「当たり前にできていたことができなくなる」

 

 これは正直、かなり精神的にも参るだろう。1930年ごろに活躍したプロゴルファーのトミー・アーマーが最初に患って、その時にイップスと名づけられたのである。今では、このメカニズムがかなり解明されてきているのだ。脳の痙攣に似たような症状があらわれ、てんかん発作に近い症状のようなものらしい。並のメンタルの持ち主だったらそのスポーツをの続行を諦めてすぐに引退するようだ。

 

イップスはとくにプロゴルファーや野球選手にかかりやすい傾向がある。イップスケアの専門機関であるイップス研究所 (こんな研究所があるのだ!?)において、約12年前から5,000名以上のイップスケアを行ってきたらしい。かなりの患者がイップスを克服して、現場に戻ったと言う。

 

 イチローがこのイップスを患ったと聞いたときは、少し驚いた。ピッチャーとしては、ボールのコントロースができなくなり、投げられなくなったと言う。今では、打者として、成功している。また、阪神に移籍した糸井も投手としては、イップスのために、ボールが投げられなくなり、打者に転向したと言う。   多分阪神の投手である藤浪もまた、イップスになってしまったのだと専門家が言っていた。まあ、あれだけ死球を投げ続けて、止まらなければ、そう思われても仕方がないだろう。

  引退を発表した宮里藍は、2度のイップスを克服したと会見で言っていた。ひょっとしたら、まだ克服できてないのかもしれない。

 

 繊細で、完全主義であり、責任感が強く几帳面な人ほど、イップスを患いやすいらしい。


    隠居した小生には、無縁かな。