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心と体

2026年5月30日 (土)

ネオテニー

  現役を引退した小生と、まだ半分現役中(理工学部の教授を定年退職で引退したのだが、名誉教授待遇で残っている)のタダノ教授とは小学校以来の親友である。最近は特にの飲みながら懇談する機会が増えたのである。責任のない素直なやり取りが酒を呼ぶのである。旨い酒があると、彼の本音が聞けるのも嬉しいのだ。彼と今回も呑みながらの懇談のときである。今回は、ネオテニーの話題に湧いたのである。

 

 東洋人は、欧米人と比べると、どことなく幼さが残っているというのだ。特に日本人は、東洋人の中でもおとなになったところで、幼さを何処かに残している人が結構いる。つまり、「性的には、成熟しているのだが、未成熟な特徴が残っている。」と、言うのである。言い換えると、『未熟な特徴を残しながら、おとなになっている。なのだ。この未熟な特徴は、決して悪いことではない、と、タダノ教授は言うのだ。そしてこのような生物現象を”ネオテニー(neoteny)と、言うのを説明してくれたのだ。日本語では、「幼生成熟」または、「幼態成熟」と訳されている。難しいことを知っているものだと、彼にはいつも感心する。

 

 日本人の新生児にみられる蒙古斑があるのだが、西洋人は、胎児のときに消えてしまうのである。つまり、日本人は未熟さが残って、生まれるというのだ。また、他の人種と比べて、平べったい顔、、薄い体毛、短い手足なども総体的な幼さの特徴だろう。また、米国にいたときのことである。。概して、日本人は、たしかに、子供っぽく見えるのだった。中には、年が若くみられて喜んでいた奴もいたのだ。しかし、タダノ教授によると、この幼い特徴を持つことが、日本人特有の感性が豊かになる思考だという。

 

 日本人のネオテニーの度合いが進むということで、脳の特性や、そしてその成長がゆっくり進むというらしいとタダノ教授は説明してくれたのだ。まだ学説の段階だが、”禅の心”、茶道、華道などの侘び寂びの世界感を重視する文化が進んでいるのもネオテニーの影響らしい。この世界観を欧米人が理解するのは難しいが、日本人ならば、そんなに難しいことを言わないでも感覚でわかるのだ。能や歌舞伎そして、武道なども感性として、ストーンと腹に落ちるのも多くの日本人ならわかるだろう。

 

 戦前、特に明治大正時代の日本人の平均寿命は、60代前後だった。その時の60歳は、かなりの老人だ。ほとんど隠居しているのだから、そのように見えるのだろう。しかい、今はどうだろう。定年が65歳となり、さらに70歳にしようとしている。60代などは現役さながらだ。これもまた、日本人のネオテニーが進んでいるということなのかもしれない。これは、小生の仮説である。

2026年5月25日 (月)

プレマックの原理

 タダノ教授と飲みながら、「アメとムチ」の話をしているときのことだった。彼からプレマックの原理というのを教えてもらった。アメリカの心理学者出会ったデビット・プレマックが提唱した概念というのだ。犬や猫を手なづけたり、子どもに勉強を教えたりするときに役立つ原理とのことだ。ときには、大人にも役立つという。要するに”ご褒美をあげる”ということが、とても大きなモチベーションになるということだ。

 

  たとえば勉強を30分間したら、好きなマンガを1冊読めるとする。その結果、勉強をする行動は、マンガを読む行動によって強化されるわけだ。また、5kmランニングしたら、スウィーツを食うなどと取り決めると、ランニングをする行動が強化されるので、健康増進にもなるし、ダイエットに繋がることだってあり得る。小生などは、「ランニングの後のビールが美味い。」など、どっちが目的で手段なのかわからなくなるけれども、ご褒美があるわけだから、強い動機付けになるというわけだ。

 

 タダノ教授によると、この”ご褒美”が『正の強化子』と呼ばれる概念であり罰に当たるのが『負の強化子』とよぶのだという。まさに飴と鞭なのである。つまり「やりたくないな。(例えば、掃除や勉強など)」と、思う行動をやらなければならないときは、この「強化子」をうまく使うというのである。”ご褒美”を与えてもいいし、”罰”を与えてもいい。つまり、『やりたい行動・自発的な行動』を後回しにして、『やりたくない行動・義務的な行動』を先にさせることで、”やりたくない行動(義務的な行動)”が終わった語の報酬(正の強化)問いして、”やりたい行動(自発的な行動)”が機能するのである。これが、プレマックの原理と言う概念とのことだ。

 

 ただ、いくつかの例外的な事項があるという。関連のないことには効果が薄いという。例えば、テレビを見る前に、歯磨きをさせるなどは、関連性が薄く、現実的でない。また、報酬制・刺激性がつようすぎると、それにばっかり関心が向き、先に終わらせるべきの課題・義務意識を達成しづらくなる。

 

 要するに、アメとムチも程々にすることが、大切だと、タダノ教授を話していて、納得した次第である。

2026年5月15日 (金)

量質転化の法則

 練習で数をこなせば(量を増やせば)、上手になる(質が上がる)。と、小学校の時から、言われてきたのである。スポーツでも勉強でも繰り返し、そして繰り返していくことが、できるようになるのだと、言われ続けてきたのである。まさに、昭和の根性論なのである。もちろん当時は、これを真に受けていたのであった。つまり繰り返すことにより、スポーツでは、出来なかったことができるようになり、勉強では、解けなかった問題が溶けるようになるというのだ。これを「量質転化の法則」というらしい。タダノ教授も小生と同様に、このことを小学校のときには受け入れていたらしい。しかし先日タダノ教授と飲みながら歓談していたときだ。この「昭和の根性論による量質転化の法則」は間違いではないかと、思い始めた時が有ったというのである。

 

 小学校の高学年の算数の問題で、ツルカメ算に四苦八苦して取り組んでいたときのことだ。基礎が大切だからといって、計算問題だけをやっても、ツルカメ算が解けるわけがない。どんなに計算問題をやったところで、無駄なだけだ。と、感じたというのだ。解き方を会得して、初めて解答を得るというのだ。当然である。更に、方程式がわかると、ツルカメ算など難なく解くことができる。要するにどのように解けばいいのかを知っていれば、解けるということだ。

 

 また、ピアノが上手になりたいからと毎日ピアノの鍵を叩いたところで、ショパンが弾けるわけではない。ゴルフがうまくなりたいからと言って、毎日クラブを振り回しているだけではうまくなるはずがない。回数をやれば、段々とうまくなる(こともあるか?)とは限らない。ではどうすればいいのだろうか。タダノ教授の持論によると、闇雲に、根性で量を増やしたところで、質(上手くなるということ)が改善されるわけはないのである。適切な指導者のもとで、適切に量を増やすことで、質が向上するというのだ。ひたすら根性で、量を増やしたところで、上手くなるどころか、悪い癖がついて、かえって進歩を妨げることになるかもしれないのだ。

 

 要するに、指導者からの手本をもとに、量をこなすのが、質への添加が速いというのだ。つまり大切なのは、稽古なのである。世の中には、独学で、ノーベル賞を取る天才もいる。誰から教わることなく楽器の演奏ができる人もいる。ひたすら我流で、トレーニングを積み、オリンピックで金メダルを取る人だっているのだ。これらの天才と比較しても仕方がない。凡人を自覚している小生には、やはり稽古を積むのが上達の近道のようだ。

 

 タダノ教授によると、量質転化の法則は、しっかりしたプログラムに則り、稽古や練習すれば、成り立つのである。

2025年11月15日 (土)

ミラー・ニューロン

先日、タダノ教授と話していたときのことである。彼は、古希を過ぎた頃から、専門の理工学関連より、大脳生理学に興味を持っているようだ。(時には、彼は、哲学にも興味がある。)彼ほどの知識と探究心があれば、広い範囲で、話題には困らないし、話をしていて楽しい。その彼が、ミラー・ニューロンについて、話してくれたのである。彼の疑問は、「なぜ、人は、人の動きを見て、同じ体験をしたような気(追体験)になるのだろうか?」

 

 1990年代にイタリアの科学者、ジャコモ・リッツォラッテとオッチャンが、『他者理解の根底にある脳のメカニズム」について公開講義を行ったというのだ。そのときに、ミラー・ニューロンの存在を結球結果で示したと言う。タダノ教授の説明によると、難しそうに、見えるが、要するに「共感」のことだという。阪神ファンは、阪神が勝つと嬉しく思い、負けると悔しい思いをする。これが、「共感」だという。当人は、試合に出ているわけではないが、テレビで見ているだけで、悔しいとか、嬉しいとかいう感情が湧くのだ。

 

 このイタリアのオッチャンは、サルを使った実験で、これを説明したというのである。感情が伝染するというのが、ミラー・ニューロンの存在を示すものであるというのだ。すべてがこれで説明付くわけではないが、タダノ教授によると、それなりの説得力がある説明とのことだ。映画やドラマを見たり、スポーツ観戦して、興奮するのが、説明できるかもしれない。しかし、人間だけでなくサルにもこんな感情があるらしい。面白いものである。

 

また、このミラー・ニューロンには模倣の機能もあるようだ。他人の動作を真似する(学習する)という機能である。一流選手の取り組みのビデオを幾度も見ることによって、自分が追体験している気になり、上手になるという。また、一流のピアニストや、ギタリストの指の動きを幾度も見ることにより、学習効果が現れて、そこそこ上手になるという。まさに、鏡(ミラー)のような働きだ。

 

 このミラー・ニューロンは、まだ研究段階で、いろいろな学説があるようだ。大脳の言語を司る部分や、運動を誘導する部分などに関連があるようだ。今後色々と判明してくるだろう。

2025年4月20日 (日)

プライミングとアンカーリング

 どうも最近タダノ教授と居酒屋で飲んでいると、話題が、心理学それも行動心理学が中心となってしまう。最近、注目されている学問だからだろう。彼も小生も、工学部なのだが、一度は定年を迎えてその延長で、非常勤となって、大学に残っているのだ。しかし、それも完全な隠居までは後少しの身分なのである。どうしても人日の行動などに関心が移っていくのである。

 

 テレビのコマーシャルが人々の消費行動を大きく影響するのは、過去に話し合ったことがある。タダノ教授によると、外部の影響で、無意識に出てしまう行動をプライミングということを教えてくれた。例えば、『ゴホンといえば”龍角散”』や、『ファイト!一発』の”リポビタンD”など、名物キャッチコピーなど上げればキリがない。やはり人間というのは、外部の影響を受け無意識に行動するものである。これが「プライミング」だ。また、試験や、試合の時に壁紙に「必勝!」と書いた色紙を貼って、毎日眺めていると、いざという時に、思いもよらない力を発揮することがあるのも事実である。

 

 これと似たようなことで1200万円のベンツを見たあとで、800万円のレクサスを見ると、なんとなくレクサスが安い気がする。これは、プライミングではなく「アンカーリング」というのだと、タダノ教授が教えてくれた。これも自然な行動なのだろう。外部の影響で、無意識に出てしまう行動なのだ。人間の心理というのは面白いものだ。それが、行動に出てしまうのが、自然なんだろう。

 

 今後は、もっともっと、タダノ教授に、話を聞きたいものである。特に、人間の心理を分析した彼の知識の広さに、つくづく感心するのである。彼と小生の完全引退が、もうすぐだ。酒盃を傾けながら、彼の蘊蓄を効くのは、楽しいかぎりである。それにしてもタダノ教授は、いつこの行動心理学を勉強したのであろうか。優秀な親友であるが、謎の多い人物でもある。

2025年1月10日 (金)

カクテルパーティ効果

 タダノ教授とは、時々呑みながらの歓談をやるのが、最近の楽しみの一つであった。先日は、中学校の同窓会があり、久々の幼馴染の顔を見たものである。もちろんのこと、タダノ教授も参加したのである。20名くらいの参加だったが、最初は顔と名前が一致しないものの、話しているとすぐに誰だかわかり、気分は昔に戻り、中学校時代の出来事を話すのであった。立食のビュッフェスタイルだったから、気さくに誰とでも話すことができた。アルコールも入って打ち解けると、いくつかのグループに分かれて、それぞれ、よもや話に花を咲かせたのであった。

 

 当然のことなのだが、今、呑みながら懇談しているるグループ以外は、それぞれが何を話しているのかわからない。ただ不思議なことに、自分の名前を呼ばれると、ハーッとして、どのグループだろうと探すのであった。そして見つけると、そのグループに行って、また懇談を始めるのだった。ガヤガヤしているのだが、何故か名前を呼ばれるとふとその方向に振り向いてしまうのである。そのときは、あまり感じなかったのだが、後日、タダノ教授と懇談している時にこの事を取り上げて話題にしたのだ。

 

 タダノ教授によると、ガヤガヤした雑踏の中で合っても、自分の気になることに関しては、はっきりと認識できるという。これを、カクテルパーティ効果と言って、イギリスの心理学者コリン・チェリーによって約70年前に提唱されたのだと、教えてくれた。音声の選択的聴取、選択的注意とも呼ばれているらしい。たしかにカクテルパーティのような騒々しいときであっても、自分の名前を呼ばれるとすぐに反応してしまう経験は一度や二度じゃない。タダノ教授によると、これは、大脳の反応によるものなのだが、詳しことは、まだ不明な点が多いとのことだ。

 

 通常、五感を通じての反応の場合、大脳がすべてを処理することは、あまりに多すぎてできないと言う。街角を歩いていると、いろいろな音が聞こえてくるのだが、脳は、全てに反応しているわけではなく、関心のあること以外は、すべて雑音として、聞き流すだけだと言う。音以外に、視覚による情報などのすべての感覚に反応(処理)していたならば、脳の機能がもたない、つまり、情報過多で、パンクするのだと言う。そこで、防衛機能として、情報を脳が無意識のうちに選択するというのだ。

 

 カクテルパーティのようにガヤガヤしていたとしても、どこかで、自分の名前が呼ばれると、思わず振り向くというのである。なんとなくわかったようなわからないような気がする効果なのだ。

2024年10月 5日 (土)

モナリザ症候群

  食べてないのに痩せない。運動しても痩せない。こんな悩みをよく聞くのである。小生は、そのように宣う人々を、結局根性がないから、どこかで食べているだろうし、また本人が運動していたとしても全く足りないのだと思っていた。ところが、親友のタダノ教授と話していたときのことである。実は、根性の問題では、なさそうな気がしてきた。彼の博識にはいつも感心するのであった。このようにダイエットしても運動しても、なかなか痩せない人がいるのは事実であって、「モナリザ症候群」と名付けられているのだ。

 

 このモナリザ症候群は、フランスのルーブル美術館にある「モナリザ」とは、全く関係ないとタダノ教授が教えてくれた。それでは「どんな意味なのか?」と、訊いてみたら

MostObesitykNownAreLowInSympatheticActivityの頭文字を取って付けた造語というのだ。訳すと「肥満者の大多数は交感神経の働きが衰えている」という意味になると教えてくれた。また合わせて、日本人の肥満者の7割がこのモナリザ症候群に当てはまっていると言われていいるらしい。

 

 交感神経と、副交感神経の役割位は、中学校で保険の時間に習った気がする。車で言うところのアクセルとブレーキの関係という。要するに、自律神経なのであり、自分の意志でコントロールできるものではないということだ。この自律神経が乱れると、「モナリザ症候群」になり、ダイエットやろうが、運動しようが痩せる効果が、薄れるというのである。自律神経のみだれが発生するのは、

 

①運動不足

②栄養バランスの偏った食事

③夜型行動(睡眠不足)

④生活のリズムのみだれ(スマホの見過ぎ)などだ。

 

 これらに注意すればいいというのである。よくよく照らし合わせると、これは、まさに生活習慣病を予防することなのと同じだ。この「モナリザ」の言葉の由来を調べると、1990年に神戸で開催された国際肥満学会で発表されたというのである。それにしても、よくこんな名前をつけたものだと感心するし、肥満の7割がこのモナリザだというのも驚きである。そして、さすがタダノ教授だ。こんなことまで知っていたのだから。

 

 基礎代謝が落ちてきて、BMIが中心から外れてきた小生は、差し詰め予備軍というところである。隠居してもリズムのある生活を心がける必要があるということだ。

2024年4月20日 (土)

利用可能性のヒューリスティック(availability heuristic)

 今は、引退した身であるタダノ教授は、専攻が理工学ではあったものの、行動経済学や、認知心理学に対しても造詣が深い。彼から言わせると、「学生を指導するときに、役に立つ学問である。」というのだ。大学の教授となると、自分の研究だけでなく、学生の指導も大切なポイントとなっているのである。現在は、すでに学生の指導は、アドバイス程度であるが、その時にもこれらの学問の知識が役立つというのだ。

 

 ヒューリスティック(heuristic)とは、「発見的手法」という意味の心理学用語である。経験や先入観で直感的に答えを得る手法というのだ。言ってみれば、経験則・直感判断則ということである。タダノ教授によると、この経験則が正しいとは限らないというのだ。しかし、人間の行動が、過去の経験に、制約を受けるのは小生でもよく分かる。自分が直面している状況に関係して思い出しやすいことがらがあるときは、我々は、その思い出しやすい情報に一方的に頼った判断をしてしまいがちなのである。この心理メカニズムは、「利用可能性のヒューリスティック(availability heuristic)と呼ばれていることを教えてくれた。

 

 難しい言い回しなので、小生にはよくわからないというと、タダノ教授は、いくつかの例を上げて説明してくれたのである。

 

 例えば、飛行機事故の直後は、飛行機に乗るのをやめて電車やバスを利用する人が増えたり、狂牛病が発生した直後は、病気とは全く関係のない部位を含めて、牛肉そのものを食べるのを控えてしまう人が増えたりするのだ。

 

 飛行機が事故を起こす頻度は、世界中で1年にごく僅かの回数である。電車や、バスの事故などは世界中では数え切れないほどのあるのが事実である。事故に遭うリスクは電車やバスの方がよほど高いのに、そんな事実には注意が向きにくい。なぜなら、航空機事故は、発生すると大規模な事故となり、その悲惨さが際だつ。滅多に起こらないからこそ、事故の印象は強いインパクトもって我々の記憶に残りやすい。そして、じゃんじゃんメディアでその事故を報道する。その結果、当分の間は、我々は生活の様々な局面で事故のことを思い出しやすい状態になってしまう。

 

 1985年8月12日に発生した「日航ジャンボ機墜落事故」(JAL123便)は死者520人生存者4人と言う飛散のものだった。小生は、その翌々日に同じ便に乗る予定だったが、親、兄弟に「飛行機を乗るのをやめろ!」と、さんざん言われたのである。しかし、結局は搭乗したのである。機内は、ガラガラだった。キャンセルが多く発生したようだ。さらに、多くの企業では、この事故後の出張が、飛行機を取りやめて新幹線にしたのであった。論理的そして合理的に考えたら、このような処置はおかしいのだが、我々の記憶に強く残り、思い出しやすい状態ができあがってしまうと、行動に反映されてしまうのである。しかし、記憶が薄れてくると、いつの間にか出張は飛行機になってしまう。たしかに、「「利用可能性のヒューリスティック」は人間の行動に影響を与えるものであることがわかるのだった。

 

 一方、これは、ビジネスにも利用されているという。記憶に残っていれば、つまり思い出させる工夫をすれば、その商品が売れるという。スーパーマーケットで商品を選ぶときに、何気なくテレビやラジオで流れていたCMを思い出し、ついその商品を買ってしまう経験がある。その商品の善し悪しよりも、記憶にあるかどうかが判断基準になりやすいという事だ。

 

 人間に、公平な判断をもとめるのは難しいものである。まだまだ修行が足りないのを認識した次第だ。

2024年1月25日 (木)

老いに負けるな

 以前、老いについて、小生の考えを述べたことがあった。老醜をさらさずに、かっこよく老後を生きようという心掛けについてだ。その時に心に残ったのが、「スタイリッシュエージング」である。これは、レーガン大統領の一頭書記官を務めたリズ・カーペンターの言葉である。

スタイリッシュ・エイジング: 色メガネ風来記録 (air-nifty.com)

 普段から、格好良く生きたいと願っていた小生には、ピッタリと当てはまる言葉であった(と思われる。)この”スタイリッシュ・エージング”については、あらためて述べることはないが、次の3つの心掛けである。

 

・誘われたら断るな。

・じゃんじゃん酒を注いでもてなせ。

・何をおいても恋をしろ。

 

 このリズカーペンターのスタイリッシュエージングに惚れ込んで、96歳でなくなった評論家の「外山滋比古」がいる。著書も多いので、多くの人に親しまれた方であり、もちろん親友のタダノ教授は、彼の著書をたっぷりと読んでいたのだ。そのタダノ教授に進められて、”「長生きに」負けない生き方”を読んでみた。外山滋比古のウィットの効いたエッセイというのであり、なかなか興味深い内容であった。そして、最も感銘を受けた言葉の一つが次の俳句であるというのだ。

 

    浜までは海女も蓑着る時雨かな

 

 江戸時代の中期の俳人である「瀧瓢水(たきのひょうすい)」の句である。この瀧瓢水は兵庫県加古川の大きな廻船問屋「叶屋」の跡取り息子だったが、放蕩三昧を行い、一代で家産を潰したというのだ。この句ができた逸話があるが、それはややこしいので割愛する。それよりもこの意図することのほうが遥かに面白い。何しろ、海女は海に潜るのが商売だ。その浜までの少しの道のりであっても、時雨(にわか雨)のときは、箕をきるという。海に潜るダイバーが、雨の日に傘をさして、浜まで行くことを想像すると面白い。

 

 「どうせ濡れるのだから、わざわざ箕(かさ)など、必要ない」と、いうだろうかもしれないが、せめて、その浜までは、自分の体を濡れないように(風邪を引かないように)大切にしたい。つまり、『今、ここを精一杯生きる人生』が、大切なのだという教えなのである。「どうせ、〇〇だから・・・」という生き方は、いたって無責任で投げやりな生き方だ。自分に不都合なことが起きると、すぐにあれやこれやと理屈をつけて言い訳をし、そうして自らの努力を放棄するという生き方である。ここからは、決して前向きな生き方が生まれるわけがない。

 

 

 リズ・カーペンターの老い方も、瀧瓢水の生き方も、根っこのところは同じであろう。とにかく今を精一杯生き抜くというのが、スタイリッシュでは目指さなくちゃいけないわけだ。それが、老いに負けない生き方なのかもしれない。やはり修行が大切なのかな。

2021年6月 9日 (水)

眼瞼下垂症手術 (記録 6/9)

 6月9日

  結局、4時半頃まで、ウツロウツロだったが、5時には、目覚めることにして、ラジオを又聞き始めた。

  入院病棟は、6時に部屋の明かりをつけて、起床となる。目に保冷剤を当てているので、点灯であれ、消灯であれ、あまり違いはない。廊下で物音がしだすので、活動開始となったのがわかるのだ。看護師が、血圧と、体温の測定にやってくる。特に問題はない。朝食は、8時からだ。それまで、やることがない。看護師が、朝飯のトレーをもってきた。パンとサラダと、牛乳であった。軽い朝飯というわけだ。贅沢は言えないし、そもそも病院食なので、美味くもなく、不味くもない。10分もあれば、食い終えた。

  その後、看護師がトレーを片付けて、すぐに、小生の担当医(執刀医)が2人ほど引き連れて  きた。手術後のチェックだ。手術跡を入念にチェックし、大きな問題がないことを確認してくれた。経過は順調であるという。そして、本日予定通り、退院できるという判断であった。9時頃、看護師が、処方された薬を持ってきた。そしてすぐに、事務員が退院手続きの書類を持っTきた。これで、退院できる。着替えて、パッキングして、病室からサヨナラをする。特に挨拶する人もない。そもそも同室の他の3人の名前すら意識してないし、顔を見たこともないのだ。1泊2日なので、こんなもんだろうと思う。

 最後に会計処理をして、駐輪場に向かい、病院をあとにした。1週間後に、外来で受診して、問題なければ、手術後の抜糸をして終了だ。

 

 6月15日

 退院して、一週間後に、今度は外来で、手術後の様子を担当医にチェックしてもらう。特に大きな問題はないという。しかし、この一週だが、手術した瞼のあとが、気になって仕方がない。何しろ突っ張った感じがするだけでなく、相変わらずの伊丹が残っている。手術直後の伊丹ほどではないが、まだ炎症が続いているようだ。担当医は、大きな問題はないということで、抜糸に取り掛かった。これがまた、痛い。麻酔などするわけではなく片側の瞼に4~5箇所の抜歯をするのだ。順に抜いていくのだが、時々その痛さで、飛び上がってしまうようだ。それでも担当医は、問題ないという。ただ、まだ腫れが残っているので、しばらく様子を見るというのだ。また、3週間後にチェックを受ける予約をとった。完治するには、やはり時間がかかるようだ。