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文化・芸術

2025年5月15日 (木)

大阪・関西万博オープン1ヶ月

 2025年4月13日にオープンした大阪・関西万博が、早くも1ヶ月が経ったので、そろそろ落ち着いてきたので、見学に行くことにしたのだ。せっかく関西にいるのに、万博を見ないわけにはいかない。関西以外では、あまり盛り上がっていにようだが、万博などというものは、こんなものかもしれない。政治的な意図があってなのか、 『入場者数が、当初の予定より少ない。メタンガス騒ぎが発生する。スマホが繋がりにくい。・・・・。』など、ネガティブ報道がたっぷりと連日放映・放送されている。さらに、大阪の小中学校では、児童生徒の無料事業(遠足?)を市長や、府知事がアナウンスしているにも関わらず、万博には行かせないという校長それなりにいるようだ。大阪堺市では、8割、吹田市では、54校が不参加を決定している。大阪市ですら、1割は、参加しないようである。少しつむじ曲がりの校長が判断しているのだろう。逆にそれだけ関心があるからかもしれない。しかし、実際に行ってみなくては、どんなものだかわからないはずなので、いくことにした。

 

 入場チケットは、大人平日6000円、土日祝日7500円である。小生は、前売りを購入していたので、5000円である。スマホのQRコードが入場チケットなのである。しかし、このチケットの購入は結構難しい。2日がかりで、なんとか購入だ。(ユーザーフレンドリからはほど遠い最悪のシステムだ!:個人的感想です。)購入したチケットを家族に転送するのは、更に大変なのだ。当日は、スマホを見せるのが煩わしいので、QRコード付きのチケットを印刷して、それを持っていく。

 

002_20250515140601 004_20250515140601 042_20250515140601    当日、11時に東ゲート入場の予約を入れたので、それに合あわせて、大阪メトロ中央線夢洲駅に到着する。 平日であれば、スムーズにゲートを通過できるだろうと期待してのだが、約30分ほど並ぶことになったのである。”並ばない万博”は、この時点で夢であるとわかった。セキュリテイを通過して、なんとか入場したというのが本音だ。ここまでで、かなり疲れる。

 

 昼飯時となっていたので、まずは、食えるところを探す。、レストランが併設されているパビリオンならば、そんなに並ばなくても食えそう022_20250515140701 030_20250515140801 025_20250515140801 だが、そのパビリオンに入場するのに行列ができている。30分から、1時間くらい並べば、多分入場できるのだが、諦めた。しkタナク、テイクアウトをねらい、カート等の出店を探すことにした。メニューを見るとどこも評判どおり高い。ある程度は覚悟しなくちゃいけないのは、分かっていたが、『味が良ければいいかな。』と、言う程度で決めた。結局おにぎり弁当1600円をレストラン内の席で食うことにした。20分くらい並んで、入場だ。食ってみたところ、まずまずの味だ。しかし、街中であれば、600円くらいの弁当である。やはり値段が高いのを実感した。

 

008_20250515140801 026_20250515140901 013_20250515140901  今回の万博の象徴は、”大屋根リング”であるので、そこに登るのが狙いだが、その前にほとんど並んでない『共同館(コモンズ)』を2つほどブラーッと見学した。混雑はしてないものの、それなりに観客は多い。大国のパビリオンは、最低でも30分は待たねばならないからそれと比べれば、ズーッとタイムパフォーマンスはいい。

 

007_20250515141001 021_20250515141001 029_20250515141001 033_20250515141001 034_20250515141001  大屋根リングは、エスカレーターとエレベーターが設置されているので、登リ降りは、楽である。もちろん階段でもいい。ただし、下りのエスカレーターは、少ないので、注039_20250515141101 意が必要だ。リングには、ところどころトイレが、設置されているので、それは問題ない。リングが、上下2段になっている箇所があり、上のリングに登ると、大阪湾が一望でき、また、万博会場をより広く見渡すことこできる。晴れていれば、六甲や、神戸を見ることもできるのだ。この木造の「大屋根リング」を体験だけでも、この万博会場に来た価値があると思うのだった。1周が2キロメートルというのだから、バカでかい。万博後には、取り壊されるかもしれないが、記念に残しておきたいものであると思うのは、小生だけではないだろう。ジョギングや、駅伝のコースとしても素晴らしいが、維持費が大変だろう。

 

 小生が、出向いた日は、まだ夏本番を迎えてないが、暑さ対策を十分にしてもらいたいものである。埋立地なので、緑が少ない。また、陽を避けるところは、大屋根リングを除くと、パビリオンの中だけだ。これでは並んでいる人が熱中症で倒れてもおかしくないだろう。これからどんな対策を打つのか、興味深く見守りたいものである。また、大屋根リングは吹きさらしだから、横殴りの雨が降ったときには、あまり役に立たない。台風シーズンになると、ちょっと困るだろうな、と、勝手に思うのだった。

 

041_20250515141201  午後になると、入場ゲートはガラガラである。入場係員は暇そうにぶらついたり、雑談していた。出口のところが限定されるので、狭いが、問題ない。夢洲駅に直行だ。

 

 今回は実質の在場時間は2時間半くらいなので、大まかにしか雰囲気を味わえなかった。実際に行ってみてわかったのだが、来場者は、皆楽しそうであった。行列はあるのだが、喜んで並んでいるように見えた。ある種のお祭りの一つだと思えば、それで十分な気がする。小・中学校の遠足でここに来ている生徒・児童もまた、はしゃぎながら廻っている(引率の先生は大変だ)。せっかく、伊丹に住んでいるのだから、予定を立てて再来場してみようと思ったのだ。

2025年4月15日 (火)

清荒神西澄寺

 関西のラジオ局、MBSラジオ(毎日放送)の月曜日午後3時から野球解説者の”金村義明”がレギュラー出演しているのだ。また、タレントとしても、結構それなりに人気があり、テレビ出演もしているのだ。小生は、彼の絶妙な話術には毎度のことながら、感心していたのである。彼は、報徳高校時代は、エースで、4番にて、甲子園で、全国制覇をしているのだ。その彼が、放送の中で、時々神頼みとして、幼少の頃から人生の節目に訪れたところが、”清荒神(きよしこうじん)”であると、話していたのであった。彼は、困ったことがあったり、良いことがあったときはかならずお参りに行くらしい。そこで、宝塚にある”清荒神”行ってみることにした。

 

 この清荒神だが、創建されたのが、平安時代の896年で宇多天皇のから称号をいただいて、現代にまで連綿としている寺なのである。火の神・台所の神として祀られていて、関西では、荒神さんの愛称で親しまれているとのことだ。正式名称は”清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)”である。宝塚歌劇場から、車で10分もかからない丘の上にある。近くには団地があるのだ。伊丹の自宅からは、30分もかからないドライブで、到着である。駐車場は、広くそして無料だ。本堂までは、ゆっくりと参道を通り、5分もかからない。

 

028_20250409194801 山門を通り抜けると、樹齢400~500年の大銀杏が嫌でも目につくのだが、今は春なので、むしろ穏やかな桜が見頃であった。境内には、数本なのだが、手023_20250409195301 入れが行き届いており、華やいた気分になるのだ。手水舎で手を洗い、本堂に向かう。参拝するのであるが、この本堂の周りに納札所をはじめとしていくつかの参拝する場所があり、お賽銭を十分に準備する必要があるのだ。本堂からは、す恋離れているのだが、鉄斎美術館があるのだ。ここは、しっかりと入場料を徴収するのであった。今回はスキップした。

 

 その脇を抜けると、龍王滝・不動尊を岩場に見ることができる。ここは、しっかりと参拝し013_20250409195201 ておく。

 

 春の日差しを浴びて、桜の花見を兼ねた参拝は、気分転換に最高である。

030_20250409195301 032_20250409195301 026_20250409195301 024_20250409195301 025_20250409195401

2025年3月 1日 (土)

伊丹市岡田家の雛飾り

 今年もまた、雛飾りの季節がやってきたのである。伊丹市の博物館である岡田家において、例年のように雛飾りが行われているのであった。雛祭りの3月3日を挟んで、約1ヶ月間、雛人形が飾られるのである。前回ここで、初めて雛人形みたのは、2016年だった。002_20250226205401 001_20250226205501 今回は、4回目で4年ぶりであった。

 

 明治時代、大正時代、そして昭和時代の雛人形が飾られている。毎年少しずつだが、003_20250226205501 並べ方を変えているようだ。それに、時代とともに、雛飾りにそれぞれ特徴があるのだが、小生としては、そんなに学術的な関心は、ない。ただきれいに並べていればそれでいいのだ。ボランティアと思われし女性が、一所懸命に、それぞれの時代の特徴とか、雛人形の特徴や、いわれなどを説明してくれたのだが、申し訳ないが、所詮、上の空で聞いているだけだ。だまーって見守ってくれているだけでいいのだが、どうしても色々と説明したいのだから、適当に相槌を打ったのだった。せっかく一所懸命になって説明してくれる彼女のためを思って話を聞いているのだが、さっぱりと記憶に残らない。

 

 どうせならば、平成の雛人形、そして令和の雛人形があっても良さそうなものだが、残念ながらそれらはない。説明員の話によると、平成も、令和の雛人形も、昭和の雛人形と対してい変わりがないから、並べるのはやめているとのことだ。これも時代の流れなんだろう。

 

 今年は、この雛人形が、3月の第2週まで飾られているのであるから、一般市民も十分に楽しめるだろう。

2025年2月25日 (火)

春團治之碑

  上方落語の名跡(ミョウセキ、またはメイセキ)である”桂春団治”(旧字体では”桂春團治”)である。初代は、明治から対象にかけて活躍した噺家である。現代は四代目なのだ。その桂春團治を顕彰するために建てたのが、池田市南豊島の受楽寺境内にある「春團治之碑」である。小生の住んでいる伊丹からは、そんなに遠くない。大阪空港の近くなので、ランニングのトレーニングのついでに寄ってみることにした。(大阪空港までは、小生のトレーニングコースの一つである。)

 

 国道171号線の旧道である西国街道沿いにあるのが受楽寺という寺だ。住宅地の中なの006_20250129195201 008_20250129195301 012_20250129195301 で、少しわかりにくい。言ったときは、寺の門はしまっていたが、その前に桂春團治の碑があった。説明書きによると、二代目桂春團治は清荒神(きよしこうじん)に住んでいた頃、よく受楽寺を訪れ、先々代の住職と交流があったそうだ。、三代目と後援会が、ここに顕彰碑を平成10年に建てたというのだ。清荒神は宝塚にあるので、池田からはちょっと離れているが、車で30分前後の距離なのである。

 

 ”難波恋しぐれ”のモデルが、初代の春團治であった。酒豪であり、歌詞にある「酒や! 酒や! 酒買うてこい!」などが有名な歌詞である。また、湯水のように金を使い、借金まみれで晩年は、みすぼらしい身なりだったという。そして、女性遍歴も派手だったとのことだ。二代目春團治は初代より、落語は上手だったとの評判であった。また、三代目は、二代目の実子であり、初代と同様の酒と、金と、女性の話題には事欠かなかったようである。現代、この名跡襲名しているのは、四代目(2025年は喜寿を迎えるという)である。

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 池田市では、”いけだ春團治まつり”を毎年行っており、落語会を楽しむことができるのである。

 

 音質はあまり良くないが、初代の桂春團治の落語をYOUTUBEで訊くことはできる。

2025年2月20日 (木)

ギター演奏会(伊丹ハーモニー・アイ)2025年2月

  2023年の12月に前回の演奏会を聞いて、市民のサークル活動としてのギター演奏会にしては、レベルがそれなりに高かったので、今回の演奏会は、2025年2月14日に開催されたのである。演奏レベルの高さには前回同様の期待をしていたのである。伊丹市教育委員会がバックアップしている「ハーモニック・アイ」と言うギター合奏サークルだ。1年半ごとに開催していて、今回が18回目の定期演奏会なのだ。随分と歴史があるものだ。月に2回ほど、練習しているので、その発表会というのである。結構年配の人が多いのも特徴なのである。

 

202502_8__1 202502_8__2 202502_8__3 202502_8__4     今回の演奏会場は、伊丹市のアイフォニックホールというところで行われたのである。音響設備がいいようで、結構それなりのプロの有名ミュージシャンがこのホールを使って演奏会を開催しているのである。今回は、無料である。500人くらいの収容人数であるので、会員は、それなりに家族や知り合いそして、近所の人々に声をかけて集まってもらっている感じである。とてもローカルな演奏会だ。それ故に聴衆は圧倒的に年配者が多い。

 

 素人(中には、プロ級もいるようだ)のギター好きが集まった合奏会であるので、時々音を外したり、音程がズレたりするのは、愛嬌だ。ただし、パンフレットによると、指揮者(指導者?)は素晴らしい経歴の持ち主だ。会員の皆が一所懸命に演奏している姿は、素晴らしいものである。そして、落ち着いた素晴らしい演奏をする人もメンバーに所属しているのがアクセントととなって、合奏に磨きがかかるというものなのだ。次回が楽しみである。

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 過去の合奏会の模様はYouTubeで見ることができる。

2024年9月 5日 (木)

伊丹廃寺跡

 小生の自宅から、70mも歩くと、自衛隊の司令部である「西部方面総監部」がある。その 30 028_20240820094101 正門前の道路を挟むその正面に、あるのが、「伊丹廃寺跡」である。伊丹市の名所・旧跡というのであるが、とても名所ではない。しかし、旧跡では、ありそうだ。

 

 伊丹市のホームページにこの伊丹廃寺跡のことが、掲載されていた。それによると、奈良時代の寺院跡ある。昭和33年(1958年)から40年まで発掘調査がおこなわれ,奈良の法隆寺と同じ伽藍配置をもつことがわかったのだ。そして、昭和41年に国の史跡に指定され,金堂跡・塔跡を中心とする一帯が史跡公園として整備されているのだ。遺構と伽藍配置は“法隆寺式”で,東に金堂,西に塔が並列して南面しImg_2683 てる。これらを囲んで回廊がめぐり,南に中門,他の三方にも僧門がある。講堂は金堂の北方にあり,その両側に僧房が続くのだ。

 

 この伊丹廃寺が全盛だった頃は、東の法隆寺、そして西の伊丹廃寺(本来の名称は、別Img_2689 Img_2690 にあったと思われる)と、言われるくらいだったのだ。それだけ栄えていたのであるが、今は、金堂の跡と、塔があった跡があるのだ。とても伊丹の観光資源というのは寂しい。学術的には、素晴らしい遺跡なのだろうが、修学旅行で、訪れる場所でもない。だから、廃寺つまり、伊丹廃寺跡として、保存されているようだ。

 

 歴史的に素晴らしい、価値があるところなのだが、残念ながら、専門家と地元の人々以外には、殆ど知られてない場所である。5分もあれば、グルーっと見回れるのだから、チャンスが有れば、訪れてほしいところでもある。そして歴史を感じてほしいものである。

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2023年12月 5日 (火)

ギター演奏会(伊丹市ハーモニー・アイ)

 小生が住んでいる伊丹市の教育委員会がサポートしているギター合奏グループの演奏会があったので、聴きに行く。プロではないので、入場料は無料だ。しかし、会場は一流アーティストが利用する伊丹市のアイフォニックホールである。「ギターハーモニー・アイ」というクラシックギターアンサンブルである。案内によると、毎月第1,第3日曜日に練習して、1年半毎に、発表会を開催している伊丹市を拠点としたグループということだ。今年で17回目であり、11月23日に開催というのであった。

 

20231124__1 20231124__2 20231124__4 20231124__3  プログラムを見ると、クラシックから、ポピュラーまで幅広く練習しているようだ。午後2時開演、1時半入場という案内であったが、1時15分には、会場に入ることができた。段々と席が埋まり、開演前にはほぼ満員となった。演奏者の友人や家族が応援に駆けつけているみたいであった。総じて、年配者が多いのは、趣味でギター演奏をやっているくらいなのだから、定年後の人が多いためなのだろうと勝手に思う次第である。(小生も引退した人間である。)

 

 2時丁度に司会が、簡単にグループを紹介して、演奏のスタートである。プログラムは、3部構成であり、それぞれに休憩が15分づつあるのだ。十分に弾き込まれているのだろう、各人皆自信持って、ギターを奏でているようだ。メリハリもはっきりしており、流れるような演奏であった。時々音を外すのは、ご愛嬌というものである。特に感心したのは、第2部での独奏であった。ギターのテクニックはもとより、その音楽性に弾き込まれるのだった。プロの演奏家と思われるくらいだった。

 

 2時間のギター音楽を十分に堪能したのであった。小生もギターを弾くのだが、このように合奏もまたいいもんだとあらためて感じた。

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2023年11月30日 (木)

木彫り:キボリノコンノ

 本物みたいに見える木彫りの作品展示会が大阪梅田の大丸で、開催しているのをテレビで紹介していた。少しばかり、興味があったので、行ってみることにした。週に、2~3回は、大阪梅田に出ているので、ついでに寄ればいいことだ。しかし、結局最終日である11月20日になってしまった。約1ヶ月間の大阪での展示会であった。作者は、「キボリノコンノ」という名称で木彫り作成をしているのだ。この木彫りが、本物に近い(というより本物)に見えるということで、評判なのだ。

 

 

20231121__2 20231121__1  大阪駅に付随している大丸の13階が会場である。入場料800円を支払って、会場に入る。記念のハガキをもらうが、とてもハガキとして、ポストに入れることができない。よくわからない記念品だ。すぐに、作品が目に入る。テレビで紹介さ

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れただけ会った。受付で、記念となる絵葉書を渡された。よくわからない絵葉書であ

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る。作品には、全部ではないが、パネルで説明があった。展示作品は、約80点くらいだろう。怖いくらい、リアルである。これならば、入場料を支払っても見学する価値がある。そんな展示会であった。

004_20231124201401 005_20231124201501 006_20231124201501 016_20231124201701018_20231124201801019_20231124201801020_20231124201801024_20231124201801027_20231124201901030_20231124201901033_20231124201901045_20231124201901034_20231124202001 007_20231124201501 008_20231124201501 009_20231124201501011_20231124201601013_20231124201601015_20231124201701 001_20231124201401 010_20231124201501

2023年10月10日 (火)

丹波立杭焼

 10月になると、急に涼しくなって、秋風が吹いてきた。また、枝豆の最高峰と言われている(と、小生が思っている)”丹波の黒豆”の出荷が始まるのである。また、愛用していたマグカップが2ヶ月前に取っ手が割れてしまったので、そろそろ新しいマグカップが欲しくなってきた。そこで、”丹波の黒豆”をゲットして、ついでにマグカップを手に入れるために、丹波篠山に行くことにした。黒豆はこれからシーズンになるのだ。

 

 まず、篠山にある「丹波伝統工芸公園 立杭陶の郷たちくいすえのさと:難しい読みだ!)」を目指すことにする。中国自動車道から舞鶴若狭自動車道を利用して、三田西(さんだにし)ICからは、地道だ。稲穂が垂れている田んぼの脇を通ると、秋が来た気持ちになる。もうじき稲刈りの季節だな、と、あらためて日本の原風景がこのあたりで、感じるのだ。要するに田舎なのである。

 

 三田西インターチェンジから30分もしないで、”立杭陶の郷”に到着だ。途中で、黒豆畑をいくつも見かけるのだが、直販はどこもやってない。後でわかったことだが、黒豆販売のの解禁日は、10月7日からということで、もう少し待たなければならないというのである。ちょっとだけ、フライングしてしまったようだ。仕方がないので、まぐかっぷのこうにゅうだけにした

 

 この”立杭陶の郷”は今回で、2回目だ。前回は、7年前であった。久々なのである。”丹波A2489 B2488 焼陶器まつり”が、2日後から始まるのだが、そのときは、広場やバンガローに野外販売店が出るようだ。また各窯元の作品展示即売”窯元横丁”は、定休日を除いて、屋内屋内オープンだ。。200円の入場券を購入してマグカップを選ぶのであった。軽くて、飲みやすいデザインを中心に探したところ、手頃なのを見つけたので購入する。黒豆は、別の機会に買うことにした。

 

Img_2493 Img_2492 Img_2491 Img_2490  ところで、丹波焼と、立杭焼とはどう違うのだろうか。調べたところ、同じものだということがわかった。ときには、丹波立杭焼を言う場合もあるようだ。

 

 

 

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2023年6月25日 (日)

グローバル化と国際化

  ダダノ教授は、現役を離れたので、自分の研究室の学生の指導だけになっている。それでも彼のもとには、多くの学生が、アドバイスを求めにやってくるという。学生の面倒見が良いし、話好きなので、研究を離れても話題が豊富なので、自然と集まってくるという。女子学生や、東南アジアからの留学生からの人気も、あるようだ。

 

 タダノ教授と、酒杯を傾けて話し込んでいたときのことである。彼が、学生たちに日本技術の発展と、国際的な位置について、議論をしたという。ほとんどの学生が、日本の技術を世界に広めることに対して大いに進めるべきという考えであったし、それは予想されてことでもあったのだ。技術や科学の発展には、グローバル化が欠かせないというわけなのだ。そこで、このことに反対する学生はいなかったのは、当然だ。しかし、学生の大半が、グローバル化と、国際化を同義として、捉えているのには、タダノ教授は少々びっくりしたという。

 

 タダノ教授によると、グローバル化と、国際化は、異なるというのだ。たしかに、英語では、グローバリゼーションと、インターナショナリゼーションの違いがあるが、どう違うのだろう。タダノ教授によると、グローバルというのは、まさに地球規模のこと。ボーダーレス、つまり、国境がないことであるという。ビジネスでは、世界標準を作り、それを画一的に展開することである、と、いう。例えば、マクドナルドや、アマゾンの世界展開などをいうのだ。スターバックスなども、同じロゴで、世界中に事業展開している。たしかに地球規模であることは納得する。一方、国際化というのは、外国と交流することであると、タダノ教授は認識していた。多くの国との交流のことをいうのである。そのためには、相手の国の習慣や、歴史、伝統などを理解することから始まるというのだ。

 

 タダノ教授が周りにいる学生に、「日本が海外に進出にあたり、日本の良さを展開し、事業や科学技術を広めていくには、どうしたら良い。」と、質問したことがあったのだ。そうすると、大半の学生は、「まず、相手国を十分に知って、国ごとにある多様性を文化・伝統を理解し大切にしなくてはならない。」と、答えたそうだ。グローバル化というのは、どうやら、国際化のことと、タダノ教授は認識したようだ。これは、学生だけでなく、日本人の大半がそう考えているとしても間違いなさそうだ。

 

 ただし、タダノ教授は、国際交流を進めることで、事業によっては、グローバル化が進むことになることを否定はしてない。グローバル化と、国際化という大きなテーマに関して、これからの社会に出る学生達に、十分に考えてほしいというのが、タダノ教授の願いである。小生も、同感である。

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