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書籍・雑誌

2024年6月20日 (木)

ガリバー旅行記(ヤフー!)

 ガリバー旅行記は、絵本として世界中に読まえれている本だと思っていた。小生が、読んだ(正確には見た)のも、たしかに絵本であった。せいぜい、小学校の低学年までの本だったと思う。ガリバーが行ったのは、小人の国と巨人の国だけだった気がするのは、仕方がない。あまりにもイメージが記憶に強く刻まれてしまっただけでなく、、アニメになってさらに広く子どもたちに知られることになったのだから、当然だ。すっかりと子供向けの内容だと思っていたのである。

 

 文庫本で読んだのだが、、ガリバー旅行記は、強烈な「社会風刺小説」であるのがわかった。イギリスの政治と、生活を面白く避難して冷やかしているのだが、その内容は、十分に現代にも通じる。それも日本の政治に通じるのだから面白い。そして、この作者であるジョナサン・スウィフトをシェイクスピアと同じくらいかそれ以上にイギリス文学作家として推理小説家の阿刀田高が書評で絶賛しているのである。スウィストは英国人というより、アイルランドの出身なので、イギリス人と言えるかどうかはわからない。それに彼は、18世紀の活躍だし、シェイクスピアは、17世紀の作家である。今回読み直して、絵本の時には、気が付かなかった発見があった。

 

  まず、ガリバーは医者であった。後には、船乗りになる(正確には、船医)だ。第一章では、小人の国の名前が、「りりバット国」であり、嵐にあって流れ着く。(これは知っていた。)この国を気に入ったが、「国王が、目を攻撃して、盲目にするつもりだ。」と、親切な小人が、密告してくれて、仕方なくその小人の助けで、船に乗って脱出したのであった。また、第二章では、巨人の国(プロブディンナグ国)にも嵐で流れ着くのだが、今度は、籠に入れられてしまうのだが、それを鷲が加えて、海に落とし、脱出したのだ。そして親切な船に助けられて、故郷に帰ったという。

 

 第三章では、空飛ぶ島「ラピュータ」、磁鉄鉱の豊富な「バルバービ国」、そして不死の人生を送っている人が住む「ラグナグ王国」、それから日本にもやってきて江戸から、長崎へ護送される。そしてオランダ船に乗り、イギリスへ帰国するのだ。ラピュータが、ジブリ作品で使用されたわけがわかったということかな。

 

 第四章(最終章)では、馬の姿をした種族(フウイヌム)が、戦争や疫病のないエリート主義のカースト制を保持しているのだ。まさにイギリス貴族を風刺しているのである。そして、このフウイヌムを悩まさしているのが、「人類を否定的に歪曲した野蛮な猿のような種族」である”ヤフー”である。野蛮で、争いの好きな家畜人なのだ。ガリバーは、ヤフーに自分を重ねて、見るようになり、精神を病んで、ポルトガルを経由して、イギリスに帰国する。

 

 スウィフトは、かなりの皮肉家であり、特に女性嫌悪がこの旅行記の随所に現れている。多分に、コップレックスの現れなのだろう。また、第四章では、ヤフーに糞尿をかけられる場面が設定されていた。人間嫌いのスカトロ趣味もあったのかもしれない。「ラピュータ」と「ヤフー」の語源を知ることができたことは、新しい発見であったが、この「ガリバー旅行記」が文学的に価値があるかどうかは、わからない。しかし、絵本としてみることができる部分は、少年少女たちにとってわかりやすく素晴らしいと、評価してもいいのではないか、と、感じたのだ。

2019年3月30日 (土)

仮想的有能感(当世学生気質26弾)

 タダノ教授は、すでに定年退職を迎え、今は小生と同様に、非常勤という立場である。彼は、長いあいだ多くの学生を相手にしてきただけあって、若者の世代間の特徴というのをよく捉えている。それ故に、彼と酌み交わしながら、歓談すると得るものが大きい。

 

 『しらけ世代』とか『失われた世代』などの、『~世代』などという表題をつけて、世代気質を論じたこともある。これらとは別に、タダノ教授が、ここ数年感じているのが、知識も、能力も、経験もないのに、上から目線で話をする学生が少しずつ増えているというのだ。簡単に言うと、『他人を見下す学生』たちなのだ。タダノ教授は、中部大学の速水敏彦心理学教授の書籍で「他人を見下す若者たち」を読んで、納得したと言う。速水敏彦教授は、ほぼ10年くらい前から、現代若者の考え方を研究している学者である。

 

  聖人君子や、悟りを啓いた禅坊主でなければ、誰しも優越感というのがあるのだ。この優越感が、生きるモチベーションになっている。『他人より、いい成績を取った』、『どこどこの大学に受かった』、『世界記録を打ち立てた』などだ。サラリーマンならば、『同期より出世が早かった。』などだろう。自分に、才能も、経験も、知識もない人は、どうやって、優越感を得るのだろうか。その時は、自分より下位の者を見つけて、意味もなく優越感に浸るのが手っ取り早いらしい。アメリカの人種差別などは、その典型的なものだろう。意味もなく白人は黒人に対して、優越感を持つ。無意識に勝手に他人を評価して、軽視しているのだ。逆に、日本人は、欧米の白人に劣等感を持つ(最近は、かなり減ってきたのだが)ことなどである。

 

 速見氏によると、「自分自身に過去に対した実績がなく、経験が乏しいのに、他者の能力を勝手に低く見て、人を馬鹿にした態度や行動を取ることで、自分は、有能だと思い込み、そうして自己肯定する」わけだと言うのだ。他人に対して攻撃的になり、批判してけなす、自己を正当化する、自分の失敗を認めない、人のせいにする、他人の気持ちを理解しない、自分の批判を聞き入れない、などだ。これは、彼は、『仮想的有能感』と名付けた。

 

 自分になにもないから、他者をバカにすることで、自分を支えようと無意識にしている。

 

 タダノ教授が言うには、どうやら、これは学生の育った環境によることが大きいらしい。昭和育ちのタダノ教授や、小生などは、『成績は、トップを取れ。徒競走では1位になれ。試合では優勝しろ。』などの掛け声で、常に競争の世界にさらされていたのだ。社会に出ても、成績を上がる努力を強いられた。その結果が給料となるのだ。それがモチベーションとなっていた。

 

 今の日本はどうだろう。トップになるための努力は、一部のエリートクラスだ。学業でも、スポーツでも、政治の世界でもである。すなわちナンバーワンを目指すのは、ほとんど一握りである。では大多数は、どうなのだろうか。

 

「ナンバーワンを目指すのではなく、オンリーワンを目指せ。記録に残らなくても、記憶に残ることを目指せ。」今の若者は、こんな育てられ方をしてきているというのだ。「世界に一つだけの花」という歌があり、大ヒットしたのだが、その裏には、こんな、背景があったのだろう。

 

 『自分には、他の人と違った才能があると思う』と言って、高校を中退したり、『自分探しのたびに出る』と言って、会社をやめて、東南アジアをヒッピー旅行に行ったりするわけだ。大勢いれば、一人二人は、その体験記を出版して印税がたっぷりはいって成功するやつがいても不思議はないが、世の中はそんなに甘くはなく、ホームレスになるのが大半のようである。自己認識、社会認識が甘いのである。

 

 とにかく自分には、何人にもない特殊な才能があるはずだと言う”根拠のない自己肯定”をしている。自分よりも下位にある者との比較によって、自分の幸福感を増大させようとするのである。だから、自分より下の存在が必要となるのだ。意味もなく、他人を見下して、自分の存在を確認しているというのだ。

 

 速水氏の著書をもとに、タダノ教授と、若者論について、議論していたら、哲学的な話になってしまった。

2018年11月25日 (日)

君たちはどう生きるか

 昭和12年に新潮社から、発刊された吉野源三郎原作の「君たちはどう生きるか」が、2017年に、羽賀翔一の漫画で再刊されてベストセラーになったのは、よく知られた話である。ジャーナリストの池上彰や、コピーライターの糸井重里が、絶賛している著書でもある。またスタジオジブリの宮崎駿は、次の映画作品には、この題名となることを宣言している。

 

 親友のタダノヒラナリ(只野平成)教授は、もちろん学生時代に、それも高校生の時に、読んでいたという。彼と盃を交わしていたときに、こんなに有名な本になるとは、思っていなかった、と、話してくれた。小生は、最近漫画になって知ったのであるから、タダノ教授には毎度のことながら、感心してしまう。教授が、この本に出会ったのは、昭和42年頃であったという。彼は、岩波文庫で読んだのだ。主人公である「コペル君」と、彼の母の弟、つまり「叔父さん」との対話や、手紙(正確にはノート)のやり取りで、「ものの見方」や社会の「構造」、「関係性」を語っているのだ。

 

 タダノ教授によると、当時は、軍国主義の閉塞感が漂っていた時代であることを背景として、読む必要があるのだが、 それを割り引いても、現代に通じつところがあるという。本来、児童書として、出版されたのであるが、旧制中学、今で言うところの高校生の主人公が、悩み苦しむことに対して、叔父さんが、シッカリとサポートしているのだ。

次のような一説かある。

 

 いま君は、大きな苦しみを感じている。

 なぜそれほど苦しまなければならないのか。

 それはね、コペル君、 君が正しい道に向かおうとしているからなんだ。

 

  なかなかな意味深の言葉である。まあ、児童書というよりも、倫理書または、道義書である。吉野源三郎は、岩波書店で、それなりのポジションに着いた人であるし、雑誌「世界」の創刊に携わった人である。やはりタダ者ではない。ただし、内容が、あまりにも道徳の匂いがプンプンしているので、現代では、好き嫌いがはっきりするのも事実である。タダノ教授は、そのあたりのことを判っているらしく、彼の評価では、名著ではないが、もし今の若者が読む機会があるならば、読んみる価値の十分あるものであると、捉えていた。そのためにも、漫画になったことを高く評価していたのである。

2018年2月10日 (土)

エドウィン・ライシャワー

  この人の名前を覚えている人は、どのくらいいるだろうか。元駐日アメリカ大使だった人である。1990年に、79歳でなくなったのである。たぶん、もっとも日本および日本人を理解した米国人の一人である。日本で生まれて、日本で教育(アメリカンスクール)を受け、日本女性ハルと結婚(再婚)した大の日本通であるある。

 

  米国での東洋史研究者であり、ハーバート大学の教授を勤めたのである。ジョン・F・ケネディの要請で駐日アメリカ特命全権大使として1961年に東京に赴任し、「日本生まれのアメリカ大使」として日本人の妻とともに当時の日本国民の間では、とても人気を博したのである。1964年に、アメリカ大使館前で、精神異常の暴漢にナイフで、大腿を刺され(ライシャワー事件)3ヶ月入院したのである。その時の輸血で、肝炎を罹患したが、その後も駐日大使として、活躍した。

 

 手術の翌日、「わたしは日本で生まれたが、日本人の血はない。日本人の血液を多量に輸血してもらい、これで私は本当の日本人と血を分けた兄弟になれた」と言って周囲を笑わせた。「この小さな事件が日米間の友好関係を傷つけないように」と何度も繰り返した。この日本国民を慰める言葉に、当時の日本国民はライシャワー大使にいっそうの親しみを覚えたものであった。

 

 しかし、ライシャワーは、1964年に米国そのものの政策に疑問を感じ、当時のジョンソン大統領に辞任の意を伝えたのである。その後は、ハーバート大学教授に帰任したのである。 アメリカが、沖縄を返還したことや、日本の総理大臣であった佐藤栄作が、ノーベル平和賞を受賞したことなどに、ライシャワーが影響を与えたのであった。しかし、彼は、持病の肝炎が悪化し、延命治療を拒否して生涯を閉じたのである。

 

 彼は、日本および日本人について幾つかの著書を出している。その中の集大成が、1979年に文藝春秋から出版された「The Japanese(ザ・ジャパニーズ)」(國弘正雄訳)である。出版されたときは、書評と、ダイジェスト版を読んだのである。(と、言うより当時の価格1600円は高い!)

 

 『日本のことが、詳しく書かれているな。』というのが、印象であった。今回、改めて、読み直してみると、いろいろなことがわかった。もちろん、日本及び日本人について、著者ライシャワーの見識の深さに驚かされるばかりである。更に面白いのは、この本が、38年前に発刊されているのだが、その内容が、今でもほとんど問題なく納得できることなのだ。ライシャワーが、分析した日本及び日本人の根底に流れているDNAは何ら変化してないということである。逆の言い方をすると、日本人は、ほとんどこの間、進歩がないということだ。

 

  この著書を社会の教科書として推薦したいくらいである。これ一冊で日本の歴史、公民、地理すべてがわかるのだ。

  文科省の頭の固いオッチャンたちには、提案したところで無理だろうな。

 

参考

https://www.cool-susan.com/2015/10/22/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E5%88%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6/

2017年11月 3日 (金)

村上春樹とランニング

  小生は、村上春樹を読んだことはない。世の中には「ハルキスト」と称して、彼の信奉者が結構いるらしいが、小生は全く関係ない。別に毛嫌いしているわけではないのだが、毎年ノーベル文学賞に候補としてあがり、マスコミに騒がれるのを見るのに飽きてしまったのである。

 

 いくら飽きたからといって、彼の執筆を読まないわけではない。というのは、彼の趣味が、ランニングである。フルマラソンを幾度となく完走しているし、さらにボストンマラソンも幾度か完走しているのだ。 時には、トライアスロンにも参加しているくらいのアスリートである。彼の著書である「走ることについて語る時に僕の語ること」に、彼の走ることに対しての考えが、たっぷりと述べられているのだ。

 

  小生は、彼ほど本格的なマラソンをやるほどの気力や、金はないが、その考えには、うなずくところが多い。小生の考えをまさに、言葉で表現し、具現化する才能は、素晴らしいものである。手放しで、納得できるのだ。ただし、この本で、一人称に「僕」という言葉使いをしているのが、気に入らない。まあ、これは、感覚の問題だろう。一人称に「小生」とか「私」という言葉の方に、自然な響きを感じる。普段この使い方に慣れているのだから、これは仕方がない。

 

 「走る作家」という彼の評判は、素晴らしいものであり、揺るぎない。そして、彼の著書に、直接そして間接に、強く影響を受けている読者が多いのも、また事実である。 毎年、10月になると、ノーベル賞ノミネートに彼の名が上がるのは、当分続くのかもしれない。受賞するのは、いつになるのだろうか。

 

 受賞しない方が、彼の名声の継続性という意味では、いいのかもしれない。

 

  次の6つのフレーズが先程の本の中で特に印象に残った。これらの6つは、日々小生が、走っている時に感じていることそのものである。こういう文に、巡り合うと、その日、一日が、嬉しくなるから、不思議だ。

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”走ることについて語る時に僕の語ること:村上春樹”からの引用

① 人の基本的性格は、それほどドラスティックに変わるわけではない。一人になりたいという思いが存在したときには、一日一時間ばかり、走り沈黙の時間を確保するということが、精神衛生上、とても重要な意味を持つ。少なくとも走っている間は誰とも話さなくていいし、誰の話を聞かなくてもいい。ただ風景を眺めて、いればいいのだ。なにものにも換えがたい貴重なひとときである。

 

② 走っているときに何を考えているのかという質問を受けることがある。そんな質問をするのは、だいたいにおいて、長い時間は知った経験を持たない人々である。こんな質問をされると、回答に困るのもまた事実である。思い出せないからだ。結局、何も考えてないと答えるしかないのだ。

 

③ 日常生活で、特に還暦を過ぎると、他人と優劣を競い合い勝敗を競い合う生活は、今後の生き方ではない。いろいろな人がいて、いろいろな価値観で世界が成り立っているのだから、それに沿ったいろいろな生き方があるのだろう。

 

④ ゴール。やっとゴールにたどり着く。達成感などどこにもない。頭にあるのは「もうこれ以上走らなくてもいいんだ。」という安堵感だ。

 

⑤ 集中力と持続力は、ありがたいことに才能の場合と違って、トレーニングによって、後天的に獲得し、その資質を向上させていくことができるのだ。もちろん我慢が必要である。しかしそれだけの見返りはある。

 

⑥ 「しっかりと練習を積んだおかげで、マラソンで素晴らしいータイムを出すことができた。ゴールインは、誠に感動的だった。」というような力強い結びの言葉で締めて、勇壮な「ロッキーのテーマ」で夕日の中をクールに去ってしまいたかった。それがプランAであった。しかし現実の人生にあっては、物事はそうは都合良く運ばない。そんなわけで、いつもプランBを準備しておかなければならないのが、人の常である。

2017年9月10日 (日)

原因と結果の法則

  先日、親友のタダノ教授と一杯やっていたときのことである。「世界で一番売れている書物は、知っているね?」と質問された。もちろん聖書である。このくらいは、小生でもわかる。次にタダノ教授に「では、世界で2番めに売れている書物は?」と、質問されて、はたと困った。タダノ教授は、「それは、原因と結果の法則(原題:As a man thinkethだ。以前は、考えるヒント、生きるヒント(ごま書房)であったのがが、改題されたのだ。」と、教えてくれた。

 

 英国の作家ジェームズ・アレン1902年に発表した書著である。もう一世紀以上前になる。彼が執筆活動をはじめたのは38歳のときであり、45歳で、没している。決して裕福にな生活を送ったわけではない。その大きな理由は、生涯この本を含めて19冊(日本訳は、2冊出版されている)の著書を出版しているのだが、英国を除いて、全て、版権フリーにしたことによるのだ。

 

 聖書を除いて、全世界で600万部以上、日本でも60万部も発行されており、未だに愛読者を増やしていると言う。この原因と結果の法則は、原題を訳すと「人はなりたい人間になる」という意味(らしい)なのだ。90ページ位の小冊子であるが、内容がとても濃くて、中々真意がわからない事柄が多い。それでも、世界中で愛読者が増えている現実がある。今では、この本は、啓蒙書としての指南書としての位置づけとなっている。

 

 ナポレンオン・ヒル、ディールカーネギーなどがこの本の影響を大きく受けていると言う。小生は、基本的には、この啓蒙書というものは好きでない。わかったことを言っているが、所詮わからないことがダラダラと述べられているだけだ。これらの本で悟りを啓くことができるならば、苦労しないのである。しかし、ノウハウ本として、読むならば素晴らしくわかりやすい。

 

 小生には、聖書は、聖書であり、それ以上でも以下でもない。それと同様にこの書著も、それ以上でなければ、それ以下でもない。そんな感じて読むことで、十分ではないかな。参考までに幾つかの銘言(?)をあげておく。興味があれば、著書を読んでみると良い。

 

http://www.adamski.jp/philosophy/stardust/mrallen.html

・人間は自分が考えたとおりの者になる。行ないは思考の花であり、喜びや悲しみはその果実である。


・人の心は庭のようなものである。それは、知的に耕されることもあれば、野放しにされることもある。そしてそれは、いずれの場合にも必ず何かを生産する。


・人々は、自分の思考を隠し通せるものだと思いこんでいる。しかし、それはまず習慣として速やかに具現化し、続いて環境として具現化する。


・人生の中には、運や偶然という要素はまったく存在しない。人間は常に、自分の思考と同種のものを手にしながら、自分が学び成長するために最適な場所にいる。魂さえも、誕生に際して、それと同種の肉体にやってくる。

2017年2月20日 (月)

ミッチ・アルボム

  これって、人の名前である。アメリカ合衆国のベストセラー作家、ジャーナリスト、脚本家、劇作家、ラジオおよびテレビの放送者、音楽家だ。1958年生まれで、本名は、Mitchell David "Mitch" Albom。世界各国で、3000万冊ものGoogle_hangout 著書の売上がある。 日本では、この名前を知っている人がどのくらいいるだろうか?知っている人は、かなりの通である。慈善団体を4つも立ち上げているのだから、将来は、ノーベル平和賞を狙っているのかもしれない。

 

 彼の著書の一つである「モリー先生との火曜日」はベストセラーであり、全米で600万冊を売り上げ、映画にもなっている。筋萎縮性側索硬化症(ALS)という死に至る病に侵された、死が間近の自分の恩師であるモリー先生に1対1で、毎週火曜日に授業を寝室(病室)で話し合ったことや議論したことをまとめたノンフィクションである。ジャック・レモン(小生の好きな役者の一人)がモリー先生役をやった映画にもなっている。

 

 また、「天国の5人」の著者でもある。こちらは、フィクションだ。しかし同様に、ベストセラーである。そして今でも現役の作家なので、次の作品を楽しみにしている読者もいるのだ。

 実は、この「天国の5人」を先に読んだのであった。

なぜ彼の著書は、日本ではあまり知られてはいないが、米国では、映画になるくらいのベストセラーになるのだろうか?  
この疑問が、彼の本を読む気にさせたのであった。(本当のところは、気休めだ。)

 TOEIC480点くらいでも十分に原書で読めるという触れ込みであった。(実際は、とても480点では難しいのである。最低でも600点ぐらい必要だ。)

 

 内容としては、主人公が事故で亡くなったところからスタートだ。そして、天国で、5人に会うのだが、知っている人もいれば、知っらない人もいる。そのやり取りは、少し宗教的な要素があり、小生は、好きになれないし、感動するわけではない。このような内容でも、米国では、ベストセラーになるのだから、国民性の違いなのだろうな。むすかしいものである。

まさにパーセプションギャップ感じた。 
 

 しかし、 この著書の中にある言葉に無駄な人生なんてひとつもなく、唯一無駄があるとしたら、自分を一人ぼっちだと考えることぐらいだ。」というのが印象に残った。


米国の宗教観というのを知るには、都合の良い本かもしれない。日本語訳もでているしTOIECを目指す人には、手頃な教材かもしれない。

2015年12月 5日 (土)

シャーロック・ホームズ

 ご存知、コナン・ドイル原作の名探偵である。助手のワトソンと、数々の難事件を解決し、その記録を、ワトソンがまとめた4つの長編と、56の短編となって、出版したことになっている。小生もまた、高校2年の時に、この長編短編を全て読み、俄ホームズ信奉者(シャーロキアン)に、なったものであった。
 探偵小説の古典となるので、未だに愛読書が多いのもわかる。ロンドン市内は、乗合馬車が交通機関であり、電報が通信手段であった。(シリーズの最後の方では、電話が使われている。)
 
 色々な時代の色々の役者が、映画やテレビで、過去に、このホームズを演じていたのだが、また最近テレビドラマで、人気がでてきているのだ。
 英国でのテレビドラマでは、ベネディクト・カンバーバッチが演じているシャーロック・ホームズが大人気である。日本では、スカパーで放映だ。小生は、レンタルビデオで、見るのであるが、シーズン3までになっているのだ。
 
 いつも思うことだが、イギリス英語は、聞き取りにくい。どうもクィーンズイングリッシュは、苦手である。
 
 現代風にアレンジしてあるので、シャーロック・ホームズが、スマートフォンで、連絡をとったり、メールでのやり取りをしているのである。ロンドンの地下鉄や、有名なタクシーまで使われているので、まさに現代版シャーロック・ホームズである。 ベーカー街で、ハドソン夫人のアパート暮らしであり、ワトソンや、兄のマイクロフトさらに、ホームズの永遠の敵であるモリアーティ教授まで出てくるのだから、興味がつきない。
 
 これだけでもビックリするのだが、さらに今アメリカで人気のテレビドラマでは、
現代のニューヨークを舞台にホームズが活躍しているのだ。相棒のワトソンは、ついに、女性となって登場なのだから、ビックリだ。これまたシーズン3(アメリカでは、1シーズンは、日本と違って24編であり、通常8~10ヶ月の放映だ。)まで作成されているので驚きだ。このホームズは、イギリス情報機関MI6に協力までするというのだから、コナン・ドイルが生きていたら、噴飯するに違いない。
 
 ホームズが住んでいたとされるロンドンのベーカー街221bは、ホームズ博物館となっている。約40年前に、ヨーロッパヒッピー旅行をしていた時に、ここを訪れたことがある。ホームズの私物(とされる)が展示されていた。 その当時は、近くにあるマダム・タッソー蝋人形館の方が印象が残っていたのであった。(吉田茂の蝋人形は良く出来ていた!)13年前に、トランジットで、ロンドン・ヒースロー空港を利用した時に、7時間ほど待ち時間が有ったので、ロンドン市街に出て、再度このホームズ博物館を訪れてみた。リニューアルされて、展示物もかなり、充実していたのを覚えている。
 
 今は、テレビドラマの影響なのだろうロンドンのシャーロック・ホームズ博物館は、人気スポットになってチケット購入は、入場整理券で規制しているらしい。(小生の時は、マニアックな人が訪れるだけで、閑散としていた。)
 
 時々、シャーロキアンになるのも悪くはないかな!?